保険医協会で
2月12日夜福岡市。開業医らでつくる福岡県保険医協会、同歯科保険医協会の役員と懇談しました。医療現場に大きな影響を与える診療報酬改定の答申がちょうど出たばかり。冒頭から白熱の懇談になりました。
「協会のなかにも民主党に対する期待があったが、今回の再診料引き下げには衝撃を受けている。医療崩壊を食い止めているのは地域の診療所やクリニックだ」(歯科保険医協会の杉山正隆副会長)。批判の言葉は鋭いものでした。
診療報酬4回連続引き下げで地域医療崩壊を招いた旧自公政権。この転換を求めていた医療現場に対し、新政権の回答はゼロにも等しい低い(0・03%増)診療報酬の伸びでした。このなかで現場に衝撃を与えたのが、診療所の再診料引き下げ答申。診療所全体で200億円もの減収をおしつけられることになります。
懇談の席上、協会から、自公政権時代の診療報酬引き下げや窓口負担増によって開業医の収入は激減し、なかには廃業する人や自殺者まで出ていることが紹介されました。
答申を手放しで評価する同日付の大手商業紙の夕刊記事にもふれ、「診療所は5回連続の診療報酬引き下げになる。病院の引き上げは当然だが、開業医の収入が多いから、ここから病院の報酬に回すという議論を財務省がふりまいている。これを打ち破るために頑張りたい」と仁比候補。松井岩美・同協会会長は「唯一共産党の新聞だけが、再診料引き下げの問題点を明らかにした記事を継続して載せている。ありがたい」と語りました。
青年のつどい
前日11日には広島市佐伯区、安佐北区後援会の「新春の集い」に出席し国会情勢を報告。続いて青年との「語るつどい」にも参加しました。
国会報告では、テレビ中継で大きな反響をよんだ、鳩山由紀夫首相との“介護論戦”の模様を詳しく紹介。介護の手が届かず心中に追い込まれた事件や、質問のための事前調査で寝たきりの女性(78)を訪ね、節約のため昼も電気を消した真っ暗な部屋で「死んだほうがまし」と涙ぐまれた実情を語りました。
仁比議員の話に目頭を押さえる人も。最前列にいた30歳の男性は「仁比さんも言葉を詰まらせていたが、自分も涙が出そうになった」と語りました。
会場を感動させた演説のなかで「鳩山首相は『いのちを守る』と繰り返すが、言葉をむなしくしている。福祉の心がすべての人に保障される日本をつくることこそ、政治は一番に取り組まなければいけない」と決意を述べた仁比候補。同じ福祉職場で働く保育士5年目の女性(25)も「わたしたちの思いや願いを代弁してくれた」と感想を語りました。
演説直前に日本共産党に入党した男性(46)は「仁比さんの話を聞いて、共産党はやっぱり国民目線でブレない党だと感じた」と確信を深めていました。
青年との「語るつどい」では、入党を迷っている人が来ていると聞いていた仁比議員はみずからの入党の思いを披露。「相当抵抗した」が、大学の先輩の「世界は解釈するためではなく、変えるためにある。歴史の進歩に人生を重ねよう」との言葉で決意したと振り返りました。
その場で入党を決めた男性(36)。「いい話を聞かせてもらった。福祉や教育に予算を使う政治に変えたい」と笑顔で語りました。
両親の姿みて
「生きべくんば民衆とともに。死すべくんば民衆のために」
仁比議員のモットーです。戦前、民主主義を犯罪として国民の自由を奪った治安維持法に抗してたたかった布施辰治弁護士の言葉です。
京都大学法学部4年生のとき、仲間たちに「法律を武器にした職業革命家を目指す」と宣言。弁護士として活躍し、2004年の参院選で初当選しました。決意固く、いのちを脅かす政治に敢然と立ち向かってきました。
北九州市で生活保護申請を拒否され、56歳の男性が餓死した事件。仁比議員は、保護申請を窓口で受け付けない実態を示し、「保護が必要な人の最後の命綱が断たれた」と追及(06年6月)。生活保護抑制目標の撤回など生活保護行政を動かしました。
新日鉄の強制転勤とたたかう父親の一彦さんと、新日本婦人の会の創立に参加し、命を守る母親運動に駆け回る母親の貞子さんの姿を見て育った仁比議員。「聡平」(そうへい)という名前には、聡明で平和のためにたたかう人間に育ってほしいという両親の願いが込められています。
水俣病やイタイイタイ病など、大企業による公害事件が続発した時代。仁比議員の弟も公害ぜんそくに苦しみました。「一握りの資本家がみんなを苦しめるのは間違っている」という思いが活動の原点です。
「国民の苦難をわがものとして、どんな困難があってもたたかうのが日本共産党。貧困がこれだけ広がっているとき、誰もが安心して暮らせる日本をつくるために力を尽くしたい」。政治を前向きに動かす比例5議席の絶対確保へ奮闘しています。(しんぶん赤旗2010年2月14日)