憲法をめぐる安倍総理の国会答弁が、歴代の政府見解をも根底から覆してエスカレートし、憲法そのもの、そしてアジアの平和との矛盾は抜き差しならなくなっています。
総理は、憲法が権力者の手を縛るという立憲主義は「王権が絶対権力を持っていた時代の話」とか「最高責任者は私だ。私が責任を持って選挙で審判を受ける」などと強弁するに至りました。
こうなると集団的自衛権の行使容認への「政府の憲法解釈の変更」は、もはや法的・論理的な意味での「解釈」ではなく、たんに「俺様のいうとおりにしろ」という「壊憲」―憲法を憲法でなくしてしまうクーデターにほかなりません。第一、自分の政権が圧倒的民意に支持されているかのようにおごっていますが、2012年総選挙でも4割の得票で8割の議席という小選挙区制の「虚構の多数」でしかないのです。
靖国神社参拝強行や自分の意に沿う人物をあてたNHK人事、道徳の教科化など教育の自由を侵す「愛国心」の強制をはじめ、侵略戦争と植民地支配を美化・正当化する総理自身の歴史認識は明らかです。
その誤った認識が、過去現実に行われた武力行使と戦争はいまも将来もあり得るのだという浅薄な感覚を支え、「私を右翼の軍国主義者だと呼ばば呼べ」などと叫ばせているのなら、やはり「安倍カラー」の最大の障害は憲法9条であり、だからこそ力ずくで憲法9条をなきものにしようとするのです。
総理がいくら「積極的平和主義」を弁明しても、凍りついたような日中・日韓の首脳外交の打開の糸口さえ見えず、日米関係の軋(きし)みも覆い隠せなくなっています。それが戦後国際秩序と相いれない自らの信条と政策のゆえであるところに、安倍政権の根本的矛盾が現れています。
政府の「力ずく」の軍事力行使の手を縛り、国際紛争の平和的解決の道を示す憲法9条。平和構想こそ求められる正念場の国会です。(しんぶん赤旗 2014年2月26日)
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