私のことが国会質問に
「まさか私のことが国会でとりあげられるとは思っていなかった。おかげで日本中の方々に関心をもってもらうことができたと感謝しています」 税金滞納を理由に児童手当を鳥取県に差し押さえられた鳥取市内の自営業の男性、Aさん(40)がこう語ります。「児童手当は子どもたちのためのもの。不当な行政に歯止めをかけたい」と裁判をたたかっています。
その裁判の判決が3月29日に出され、鳥取地裁は県の処分を「正義に反する。権限を乱用した違法なもの」と断罪しました。差し押さえ相当額の返還だけでなく、「子を持つ父親として多大な精神的苦痛を被った」として県に慰謝料の支払いも命じました。県側は4月12日に控訴し、新たなたたかいが始まっています。
「一個人の裁判ではないと思っています。不況が続く限り、私のような立場に追い込まれる人間がでてくる。負けられない」とAさんが唇をかみます。
長女は高校退学に
Aさんは当時、病弱な妻と子ども5人の7人家族。長引く不況で収入が激減、個人事業税や自動車税を滞納するまでになりました。2008年6月、2ヵ月半にわたり残高73円しかなかった銀行口座に児童手当13万円が振り込まれると、県はその9分後に、全額の13万73円を差し押さえました。明らかに児童手当を狙い撃ちにしたものでした。
「残高ゼロ」に、妻は「頭が真っ白になった」といいます。滞納していた子どもの教材費や給食費に児童手当を充てる予定だったからです。高校生だった長女は、約束していたお金が学校に払えず、退学を余儀なくされました。
Aさんは、「借入金の相談に親切に対応してもらった」ことのある鳥取民商にすぐに相談。民商事務居と一緒に返還を求めて県税当局と交渉し、不服審査請求をしましたが、却下されたため09年に裁判に踏み切りました。民商、県労連、新婦人、民医連、年金者組合などは「支援する会」を結成し、募金を集め、全戸配布ビラで地域でも訴えました。
質問する仁比聡平議員(当時)=2009年6月22日、参院決算委
提訴に先立つ09年6月、日本共産党の仁比そうへい参院議員(当時)は、国会で追及しました。「税務行政にも血も涙もある姿勢を示すために、13万円を返還させるよう検討すべきだ」と迫りました。佐々木憲昭衆院議員も取り上げ、当時の与謝野馨財務相から「児童手当は子どもの養育に使うという目的に達せられるべきもの」との答弁を引き出しました。(鳥取県が児童手当を差し押さえ、県立高が生徒の通帳管理し強制徴収 仁比議員が追及 しんぶん赤旗 09年06月22掲載)
鳥取県民主商工会連合会の川本善孝事務局長は「民商で2人の国会質問のビデオを何度も見ました。『大臣もこう答弁している』と県交渉でも訴え、運動の力になりました」と話します。
Aさんは「共産党は地道に活動する政党だと以前から思っていましたが、今回の問題を通じて思っていた以上に市民に親身になってくれる政党だと分かりました」といいます。鳥取地裁の判決には仁比氏もかけつけ、ガッツポーズで喜び、「商売つぶしの税務行政を大きく変えるたたかいの出発点にしよう」と激励しました。
画期的判決受けて
Aさんの事例は「氷山の一角」と川本事務局長は指摘します。児童手当や年金などは差し押さえ禁止財産ですが、銀行口座に振り込まれた場合は「一般財産と混在」するとして差し押さえを認めた最高裁の判例があり、実際は差し押さえが横行していました。
鳥取地裁の画期的判決で反撃が始まっています。児童手当を差し押さえられた福岡市の福岡民商の会員は、地裁判決を報じる「全国商工新聞」と児童手当以外の入金のない預金通帳を示して市に差し押さえを解除させました。福岡県も交渉のなかで「児童手当を狙い撃ちにした不当なものと判断されることは行わない」と明言しました。
「いい影響が出始めてうれしい。裁判をやった意味があった」とAさんが顔をほころばせます。(しんぶん赤旗 2013年6月3日)