朝、松永秀則さんと合流。小長井の港から北部排水門に向う。

 集結する大船団の姿に、胸がいっぱいになる。

 青空にぽっかり浮かぶ雲が普賢岳にかかる。諫早湾口「竹崎県境南共1号ライン」には、沿岸4県から続々と集結する船団。連絡の伝馬船が走る。

 佐賀県有明海漁協の総指揮船が、誇らしく赤旗をたなびかせて先陣を切る。

「いくぞ!」の号令だ。

 県境や漁協の垣根を越えて、漁民たちがもやい綱を投げ合う。がっちり結ばれる漁船のスクラム。危なっかしく船を渡り歩く取材陣。5機のヘリコプター。想定をはるかに超えた350隻を超える船団。1000を優に超える漁民。大和の船には東京から駆けつけたY嬢が叫ぶ姿が見える。
 
 10:30。総指揮船に陣取る佐賀県漁協幹部たちのシュプレヒコールがはじまった。

   『開門調査を先送りするな!』 

   『我々はもう待てないぞ!』

   『開門調査を実施せよ!』

   『開門調査の政治決断を下せ!』

   『我々の宝の海を返せ!』

 
 高鳴る鼓動。目頭が熱くなる。県漁協が腰を据えて呼びかけ、福岡県有明海漁連が呼応し、熊本、長崎4県漁民が総結集する海上デモは、2001年のノリ大凶作以来だ。

 くり返すにつれシュプレヒコールのこぶしが揃っていく。怒声に力がこもっていく。

 船団のあちこちから『開門を決断しろ!』『さっさと開けろ!』と怒声が重なる。大浦の船団から『(宝の海を)返せ!返せ!』のコールが沸き起こり、ひろがっていく。

 北部排水門両脇の突堤に集まった漁協婦人部、市民の支援から『心は一つ!』と、鳴り渡る太鼓とうたごえが響いてくる。

 振り返れば満艦飾の大漁旗。「水門を開けろ」の横断幕。
 そして隊列の先頭には、「被害を知れ」「即時開門」のブルーシート。
 
 これが漁民の団結の力だ。民主党政権に突き付けられた有明海漁民の総意だ。

この総意の実現のために、私は全力を尽くす。10月3日14時、長崎市で小長井・大浦訴訟の結審前集会。是非みなさんもご一緒に。

≪海上デモ主催者の要請文≫

 
 有明海では梅雨明けに近い7月前半からタイラギの斃死が確認されるようになり、貧酸素水塊の発生が目立つ7月中旬には100%の斃死が報告される事態となった。

 昨年度のタイラギ漁獲が13年ぶりの豊漁となり、今後数年は、残るタイラギの漁獲によって生活ができると喜んでいた矢先だけに、潜水器漁業者の落胆は計り知れない。

 また、赤潮の多発、早期化はノリ養殖の当面する大きな弊害として、漁家経営を大きく疲弊させており、ここ2年は年末の局所的かつ恒常的な色落ちの発生によって、後継者を抱える漁家が再起不能な状況に陥ろうとしている現状に、私たち漁業者は憤懣やるかたない思いがある。

 干拓調整池の排水や堤防締め切りによる流況の変化が、赤潮発生や貝類斃死の原因となっているといった疑念は、日毎に増しこそすれ、無くなっていくものではない。

 今年4月、当時の赤松農林水産大臣は、与党検討委員会の開門調査実施を示した報告を受け、開門調査を公式に表明すると私たちの前で明言した。

 我々漁業者は、やっと再生への光明を見た思いで安堵していたが、山田農林水産大臣が就任後、その発言は前大臣が説明した内容には程遠く、財源不足を理由に開門調査の判断を先延ばしにしようとしている。

 国が結論先延ばしのこれまでと全く変わらない姿勢では、沿岸4県住民並びに漁業者は、再び不毛に帰する混乱に陥り、お互いの対立の中で非難を繰り返すことになる。

 有明海再生のためにどうしても排水門は開かれなければならない。開門調査の実施によって、初めて有明海再生の扉は開かれるものと、多くの漁業者が信じて一刻も早い国の英断を待ち望んでいる。

 国は、諫早湾干拓調整池の開門調査実施が有明海沿岸漁業者の生活権がかかった最大の懸案事項であることを理解し、前大臣の発言に責任を持ち、開門調査の実施について早急に公式表明すべきである。

                        以上