○参考人(大石利生君)

 水俣病不知火患者会会長の大石利生と申します。本日は、意見陳述の場をいただき、誠にありがとうございます。

 今回の会社法の改正では、子会社の株式売却につき株主総会の特別決議が必要とされています。ところが、水俣病の加害企業であるチッソを適用除外する修正案が衆議院で可決されました。私はこのチッソを優遇する修正に反対する意見を述べます。

 加害者は、全ての被害者への補償、救済に最後まで責任を負うべきです。ところが、どうして国会が公害加害企業であるチッソを特別扱いにして優遇するのですか。どうして国会が公害加害企業チッソの責任逃れを手助けするのですか。水俣病に苦しみ続ける私たち被害者は絶対に納得できません。

 水俣病は、チッソがメチル水銀を含む工場排水を海に垂れ流して起こりました。激しくけいれんして短期間で死亡に至る劇症型がよく知られておると思います。しかし、現在の被害者は、手先、足先の感覚が痛みを感じにくいという症状が多く見受けられます。私の場合には、三十八歳のときに交通事故に遭い、ガラスの破片が足の裏から甲まで突き抜けたことがありました。しかし、痛みを感ぜず、血だらけの足を見るまでけがに気付かず平気で歩いておりました。

 ほかにも様々な症状が出ます。現在の水俣病被害者の生活の一つのイメージはこうです。委員の皆様方も一応考えてみてください。朝起きたときから頭が重い、食事は味も匂いも分からない、よく物を落とす、よく転ぶ、家事も仕事もよく失敗する、手が震える、口が回らずしゃべりたくない、引っ込みがちになる、少し疲れたらこむら返りで激痛を覚える、夜は耳鳴りで眠れない、やっと眠れたのにこむら返りの激痛で起こされ朝まで眠れない、こういうものです。想像できますか。外から見ただけでは分かりにくい被害かもしれません。しかし、今の被害者は水俣病に苦しみ続けております。

 胎児性患者の坂本しのぶさんは、本当は健康な体で生まれてきたかった、私は苦しみながら生き続けるのに、その加害者であるチッソはその罪を免罪されて晴れ晴れと生き続ける、こんな不条理は絶対に許せないとおっしゃっています。これは全ての水俣病被害者に共通の思いだと思います。

 今回の修正案の提案者は、被害者救済と水俣病問題の最終解決を妨げてはならないと言います。しかし、これは現実を全く無視するものです。水俣病特措法は、チッソの子会社の株式の売却をして、それを被害者の補償に充てる仕組みとなっています。子会社の株式を売ることで一時的にお金はつくれます。しかし、被害者補償へ回せる金額の上限が決まっています。
 ところが、今も未救済の被害者が多数取り残されております。今後、被害者が補償を求めても資金不足でチッソからの補償を受けられなくなるおそれもあります。これでは被害者救済にも水俣病問題の最終解決にも逆行することになります。

 驚かれるかもしれませんが、公式確認から五十八年も経た今、未救済の被害者はまだまだ多数取り残されております。水俣病は全く終わっておりません。平成二十二年から特措法の受付が始まりましたが、非該当として不当に切り捨てられた被害者がたくさんおります。

 まず、ずさんな検診で症状を認めてもらえず切り捨てられた方がいます。配付資料のこの一ページの写真を御覧ください。これは、痛みの感覚の検診で医者からつまようじを強く突き刺されて出血した方の写真です。御覧いただけますか。私どもが把握しているだけで二十件以上はありました。検診を担当する医師は行政が依頼するわけですが、中には申請者の感覚障害を疑ってかかる医師もいたわけです。

 感覚の検査では、手先、足先と胸など体幹部を比較する決まりです。しかし、私たちの会員である山本サト子さんのケースでは、医師がその比較の検査をしませんでした。山本さんは元看護師なので、おかしなことが分かったんですよね。人の命と健康を扱う医者があんないいかげんな検診をするなんて絶対に許せないと怒っています。

 次に、半世紀前の資料を出せと行政から無理強いされて、出せずに切り捨てられた方もいます。水俣病被害者と認められるには、症状に加えて、メチル水銀に汚染された魚介類を多食したという暴露要件も必要です。行政が一定の地域を対象地域と定め、そこでの居住歴、生活歴があれば暴露ありとされる仕組みです。

 ところが、行政は、客観資料を要求します。客観資料とは、住民票や雇用歴や学歴の証明書などです。しかし、半世紀前の住民票は廃棄されて残っていない場合もあります。引っ越しても住民票を移さなかったケースは昔はよくありました。私たちの会員の大野良實さんは、三歳から六歳までを不知火海沿岸の女島という水俣病患者の多発した漁村で暮らしました。しかし、住民票を移していなかったために非該当とされました。大野さんは、当時同居した女島の親戚の証言を文書で出したのに認めてもらえなかった。行政は住民票を移さなかった親を恨めというんですかと憤慨しております。会員の七十七歳のIさんは、昭和三十年から三十二年まで水俣の洋服屋に住み込んで働いていましたが、今では店もなく雇主の行方も分からず、雇用証明書を出せずに非該当とされました。国は私たちをずっと放置してきて、今になって六十年前に雇用証明を取っておかなかった私が悪いというのですかとおっしゃっています。

 対象者が多数取り残されていることが最も明白なのは対象地域外の地域、特に天草です。配付資料の三ページを御覧ください。この地図が付いているところですね。左上の九州の地図の真ん中に熊本県があります。数字の、①の足下が水俣です。熊本県の一番南です。左下の地図で、八代海は不知火海のことです。東に水俣、西に天草となります。そして、右の図で細かい斜線を引いた地域が特措法の対象地域です。天草は、御所浦と龍ケ岳だけが対象地域で、その他の地域は対象地域外です。

 従来、行政は、地域外というだけで水俣病と認めてきませんでした。住民の側も、行政から対象地域外とされれば、ある方は自分が水俣病のはずがないと思い込み、ある方は申請しても無駄だと諦めてしまってきました。しかし、平成二十一年の民間の住民検診では、天草の住民から水俣病の症状が確認されました。手先、足先の感触障害は珍しい症状で、汚染のない地域の住民には百人に一人いるかいないかというレベルです。ですから、手先、足先の感覚障害を持つ人が多数見られれば、地域ぐるみのメチル水銀汚染が強く疑われるのです。その後、天草の地域外から数百名がノーモア・ミナマタ第一次訴訟の原告となり、平成二十三年の和解で地域外の約七割が救済対象となりました。その後、特措法でも、私どもが把握しているだけでも、地域外の会員のうち数百名が救済対象となっております。

 被害者がいないはずの対象地域外から数百名単位で水俣病被害者が出た事実を他の住民が見て、救済を求める声が更に広がっております。水俣病不知火患者会は、被害者の掘り起こしや検診を進めています。ノーモア・ミナマタ訴訟では、天草の倉岳、宮野河内、姫戸の三地区が中心でしたが、その特措法では、楠浦、新和、栖本など沿岸地域一帯に申請者が広がっています。これは資料の四ページを御覧になると新聞記事が載っております。
 対象地域外の地元自治体も対象地域の拡大を求める意見書などを出されています。天草の不知火海沿岸で対象地域外とされている地域の人口は少なくとも三万人以上でした。天草での救済は始まったばかりです。そのほか、魚介類が流通した内陸部、山間部や昭和四十三年以降生まれた障害者の救済も取組が本格化しようとしています。

 特別措置法の平成二十四年七月の申請期限に間に合わなかった被害者もいます。過去の差別、偏見の影響で、子や孫の結婚や就職の心配から申請をためらう人が残っております。水俣市と周辺の市町村を比べると、水俣市の申請の割合が低いようです。というのも、チッソのお膝元であるというのが一つ影響しているのではないかと私は考えております。

 県外転出者にも情報が届いておりません。以前、高度成長政策のときに、当時は中学校を卒業すると東京、大阪方面へ集団就職で移住しております。その人たちがもう今はある程度の年になり、私たちと全く同じような症状が出ておりますが、それが水俣病だということをなかなか分かってくれない、分からない、誰も教えてくれないというのが現状です。

 以上のように、未救済の水俣病被害者が多数取り残されております。被害者救済が終わる見込みは全くありません。水俣病は終わっていないのです。

 このような中でチッソを優遇する修正案は絶対に許せません。国がチッソを優遇して子会社株式売却を手助けすれば、残されている多数の被害者がチッソから補償を受けられなくなるのです。また、水俣病問題の最終解決にも逆行します。

 加害企業チッソを擁護したとしても、国の賠償責任は消えません。関西訴訟最高裁判決では、国の責任割合は四分の一ということでした。しかし、今後、国がチッソの消滅を進めたために被害者が賠償を受けられなくなれば、国が損害の全額を負担すべき事態が生じるのではないでしょうか。重大な結果が国にも降りかかるのです。

 全ての加害者は、全ての水俣病被害者への補償、救済を全うすべきです。私たち被害者は全ての被害者救済まで闘い続けます。

 参議院の先生方におかれましては、良識の府として慎重に御検討いただきますようお願いいたします。

 以上、御清聴、誠にありがとうございました。