○仁比聡平君 日本共産党の仁比聡平でございます。
 参考人の皆さん、今日は本当にありがとうございます。
 まず、塩見参考人に、小谷参考人から先ほどあった無免許運転によるこうした危険な事故、悪質な事故に対する可罰性というような観点で少し御意見を伺いたいんですけれども、小谷参考人から、一度も免許を取得をしたことがない人間が進行を制御する技能を有しているというのは理解できないと、運転免許は車を動かす技術と安全に車を運行できる知識があって始めて与えられるものであって、それがないのになぜ法律上技能を有していると評価をされてしまうのかと、無免許運転を繰り返せば繰り返すほど重い処罰の対象から外れるということになるではないかと、趣旨は私そういう御趣旨かと思うんですが、無法を繰り返せば重い処罰の対象から外れるというのは、ここに強い疑問が示されて私は当然だと思うんです。塩見参考人はどんなふうにお考えでしょうか。

○参考人(塩見淳君) おっしゃることは本当に重々よく理解はしているつもりなんですけれども、先ほども申し上げましたように、進行を制御する技能を有しないということは、法案ですと、二条に挙げられている行為と同等の危険性を持っている、あるいは暴行に準じるような危険性を持っているということで、この文言から受けられる、その制御する技能を有しないというところから印象として受けられるものよりははるかに厳格なものをとらえております。ですから、やはりこれには、単に免許がないというだけでは当たらないというのは、これは刑法の解釈としてはそうなるだろうと思います。
 ですから、それまでの間に無免許いっぱいやっているではないかと、無免許で練習ですか、とかそういうことをやっているのではないかというのは、これは無免許運転罪で捕捉をするということになっていて、それで事故を起こさなければ無免許運転罪のみでとらえられるというのが、仕組みというか規定の作り方になっております。ですから、結局それまでに、何ですか、言葉は変ですが、うまくなるまでにいっぱいやっているというところはそれとして道交法上とらえると、そういうことで考えられているということになるかと思います。
 それはおかしいのではないかということなんですけれども、やはりそういう枠組みでしか現状ではとらえ切れないのかなというふうには思っております。ちょっとお答えにはなっていないかもしれませんが。

○仁比聡平君 そうした法律解釈的な御意見も踏まえて小谷参考人にお尋ねをしたいと思うんですけれども、私も亀岡の事故の際、運転者が無免許であったということと併せて、先ほどお話があったように、集団登校中の子供たちには何の落ち度もない、保護者の方やおなかの赤ちゃんも含めて、多数の亡くなられた子供たちやけがをされた子供たちが生まれたと、起こってしまったと、それがどうしてこんな事態になったのかということに理不尽さを感じたんですよね。
 そういう意味では、運転者が無免許であったということだけをとらえてこうした活動をしてこられたわけではなかろうと思うんですけれども、そういう亀岡の事故のような事案において、先ほども塩見参考人からも、無免許であっただけでその進行を制御する技能を有しないという判断にはならないのだという趣旨の御発言なんだろうと思うんですけれども、その運転者の行為の重み、そこも含めてもう少しお話しいただけるところがあれば御自由に御発言をいただきたいと思うんですが。

○参考人(小谷真樹君) ありがとうございます。
 無免許だけじゃなく、事故としては居眠りというのが直結したというふうに今ずっと僕らの事案に関しては考えられておられまして、私としてはどっちもやというふうには感じてはいるんですけれども、免許を持っていれば、それこそそういう夜遊びといいますか、そんな睡眠時間が少ない中運転することは、そういうことを習った上での免許でしょうし、そんなの一般常識でも分かることやとは思っていたんですけれども、一番やっぱり納得できないのが、逆に、その進行を制御する技能というのが、例えばどのような形に当てはまるのかというのが、そのような想像が全くできないわけなんです。ほんまに、それと無免許というものが因果関係がないとされたら、本当に乗ったその日の、みたいな話ぐらいでしか該当するものがないのじゃないかなというふうに自分たちは感じたんです。
 それを、そこに絞ってこの法律を作られた意図というのも、正直そうなってくるとよく分からないですし、当初から、さっきもちょっと僕、意見陳述の方で言わせてもらったように、無免許運転が構成要件から外れたことというのは、過去の参考人の方も御指摘されていましたし、当時から交通三悪ということで、速度超過や飲酒運転、そして無免許運転というのがあったにもかかわらず、なぜ漏れたのかという疑問がずうっと残ったまま来ていて、今回この私たちの事件でまた具体化されたにもかかわらず、また漏れたわけなんです。
 本当にもう皆さんおっしゃっていただいているように、その技能が、それが操作の、初歩的な操作ということで言われてはいるんですけれども、本当に、こんなタイミングがあったにもかかわらずこの先またこれでいくのかというところにやっぱり僕たちは一番疑問に思っていまして、説明していただけるなら、本当にその制御する技能というのがどんなところに該当するのかというのを、誰もはっきりと、僕が見た中では、こんな人ですよと、こんな人は、該当する人は何人いますよというのをちょっと聞いたことがないので、ほんまにちょっと、うまいこと答えられていないですけど、また、やっぱり理解しやすい、本当にそれがそうであるのなら、この条文自体を本当に変えてもらわないと本当の改正にはならないと思っております。済みません。

○仁比聡平君 どうした悪質、危険な運転が処罰対象とされるべきなのかということについては、私たちも本当に重く受け止めて議論していかなきゃいけないと思っています。
 それで、久保田参考人、そして三野参考人に三条二項の問題について伺いたいんですが、まず久保田参考人に、先ほど御紹介ありましたが、今日お持ちいただいている資料の幾つかの、事故報道以降の電話相談の激増という二十一ページの資料があります。
 この中で、事業主の、てんかんの患者さんを採用しておられる事業主の方からの、自分たちがどの程度で刑事や民事の責任を負わされる可能性があるのかとか、あるいはトラブル回避のためにはどんな働かせ方があるのかとか、ひいては、患者に辞めてもらいたいが、病気を理由に辞めてもらうことはできるかとか、こうした問合せというのは挙げられているだけでも大変深刻だと思いますし、こうした電話が掛かってこない、社会の中では、雇用主さんもですが、中でもてんかんに立ち向かいながら頑張っている患者さんたちにとっては本当に不安だと思うんです。こうした問いかけに対しては、皆さんの対応で問題が解消されるものですか。

○参考人(久保田英幹君) 非常に難しいと思います。私たち自身は、患者さんの相談を聞き、適切にアドバイスをすることはできますけれども、直接事業主さんに働きかけるということはなかなか難しゅうございます。
 事業主さんからも様々な問合せがあります。法的に適切ではないというふうなことは申し上げます。それで相談は終わってしまいますので、その後どうなったかということに関してはなかなか、匿名の電話だったりしますので、フォローアップもできません。したがって、私たちができるのは、厚生労働省に実態をお話しして適切な指導をしていただくということに限りますけれども、なかなか本省の方も、具体的な事案は労働局に任せてあるというふうなことで、本省はなかなか直接指導していただくということも困難なことも体験をしております。
 したがって、これらがどのように解決しているのか、していないのかということは詳細には把握できておりませんし、このような電話が掛かっていること自身、氷山の一角ではないかというふうに感じております。

○仁比聡平君 国連障害者権利条約の批准見通しというような状況の時代の中で、政府全体としても当然取り組んでいかなければならない問題かと思うんですが、この法案との関係でいいますと、今回の法律改正が、先ほど久保田参考人強調された、病気が悪いのではなくて悪いのは自己管理ができなかったことであるという、そういう意味合いでの自己管理を、この法案、法改正が逆に阻害してしまってはならないということは大事なことかと思うんですよね。
 先ほども他の議員の御質問がありましたので、私、その自己管理の中核というのは何なのかというのをちょっと教えていただきたいと思うんですが。

○参考人(久保田英幹君) 一言で言うのは難しいんですけれども、大事なことは、臨床の場で、治療することの意味、服薬し続けることがその患者さんの人生にとってどんな意味があるのか、非常にポジティブな意味があります。そうでないとなかなか、服薬が面倒、飲まなかったからといってにわかに症状が悪化することもないというようなことで、あるとき重大な事故を起こすというようなこともありますので、多くの患者さんは服薬することの意味を知りたがっています。
 そこのことをきちっと伝えることで、例えば二年発作が止まれば運転免許、運転できるんですと、そのことが社会生活においてどんな大きな意味があるかというような形で、患者さん自身に自己管理のイメージを、ただ強制するだけでなくお伝えするということが非常に重要であるというふうに考えています。

○仁比聡平君 なるほど。そういう意味では、主治医と患者の信頼関係ということも極めて重要なのだろうと思うんですけれども、そこも踏まえて三野参考人に最後、法律の、立法の技術的な問題は法律家の話とか法務省の話とかではあるのかもしれないが、患者や医療者、医師にとっては、病気なのか、病気の症状なのかでは、これは決定的に意味が違うということなのだろうと思うんですけれども、この病気の症状というふうな修正が可能なら、三野参考人などの懸念というのは大きく解決をするんでしょうか。

○参考人(三野進君) お答えさせていただきます。
 大きく改善すると思います。症状という形で的確に運転に危険を及ぼすような症状をポイントを当てれば、病気そのものが全てが危険であるということの偏見や差別がなくなりますし、その症状が出れば医療機関に通って、医師、治療関係の中で解決することもできるだろうと思いますし、御本人もそれに向けて努力すると、今先生がおっしゃられた自己管理という問題も出てくるだろうと思います。
 今の状況であれば、まさに、精神疾患でいえば、統合失調症や躁うつ病、うつ病の患者さんは、酒気帯びと同じような同格な形で見るわけですから、例えば誰が酒気帯び相当の、常に酒気帯び相当の危険を持った人を雇うかという問題になります。それから、うつ病の患者さんでも、回復して職場に復帰するときに診断書を出すと、最近随分多いんですけれども、運転が可能であると、安全な運転で事故を起こさないということを保証するということを診断書に書けと言われるんですね。この条項がある限り、それはずっと続くだろうと思います。
 それが改善されて、こういう症状が事故を来すんだから、危ないからやめようということが法律で規定されれば、あるいは政令できちっと規定されればそういう懸念はなくなりますし、的確に法が運営されるんではないかというように私は思っております。

○仁比聡平君 ありがとうございました。