巨大地震が起こった3月11日の午後2時46分。国会から戻る山手線が緊急停車し、1時間余、車内に閉じ込められました。

 窓外の高層ビルは大きく揺れ、線路を歩いてたどりついた党本部にも被害。首都圏の交通は完全に停止して帰宅困難者が道路にあふれ、なかに子どもたちの姿もありました。

 自治体も党組織も、連絡さえ取れない壊滅的被害と余震のなか、被災地の党と地方議員は、自ら被災しながら、被災者の実情と要望に応える必死の活動に立ち上がっています。

 被災者とともに避難所で夜を明かし翌朝には炊き出しを開始、一人暮らしの高齢者宅を安否確認に回る市議。事務所前に住民同士の伝言板を設け、壊滅的ながれきのなか避難所を必死で回る県議候補。私たちは、安否不明の方々の救出・救援、避難所の改善、温かい食事や毛布、日用品、薬品を居けるために全力をあげています。

 福島第1原発の危機は、「炉心溶融」、建屋の爆発、避難住民の被ばくという最悪の事態に至りました。いっさいの「安全神話」を排し、首相の責任で事態を全面的に掌握して国民に事実を明らかにし、緊急避難とヨウ素剤の事前配布など、被害を最小限に抑えるための措置をとりきらねばなりません。

 西日本からも、民医連の医療チームが出発しました。各県の救援募金では、涙ぐんで「貧者の一灯です」というおばあちゃん、駅前に集まっていた20人の小学生全員が募金してくれたなど、皆さんの心情、ぬくもりに目頭が熱くなり訂す。

 日本共産党は、住民の苦難をわがものとし、どんな困難があってもその苦しみを取り除くために頑張りぬいてきた党です。街頭での救援募金の訴えに「共産党だから募金します」との声が相次ぎ、私はその重みをかみしめています。 皆さん。救援募金をいっそう広げてください。心一つに、必ず復興を果たしましょう。(しんぶん赤旗 2011年3月16日)