この豪雨は民主党政権の野辺の送りの雨ではないか。野田総理は「国民生活を守る」「私の責任で決断する」と陶酔しているが、追い詰められているのは彼らの方である。

 腎腰病のため1日おきに人工透析に通う方は「生きることを否定されているようだ」と消費税増税への憤りを語った。一生懸命働いているのに手取り10万円そこそこの若者たち。広がる貧困とつくられた格差、富裕層のもうけ独り占めをそのままに、高級ホテルでわずか数人の「政治家」が増税を談合し、国民に押し付けようなど許されないのが当然である。

 もはやマニフェストは紙くずとなり、「二大政党の政権交代とはかくもむなしいものか」と人々が目の当たりにした。堪忍袋は、はち切れそうである。その緒を切る力を飛躍させよう。

 この正念場で、二大政党政治の根にある財界とアメリカの号令を乗り越える日本共産党が飛躍してこそ、失望や諦めは噴き上げる怒りに変わる。

 原発再稼働問題が緊迫する中、「原発なくそう!九州玄海訴訟」の第1回弁論が開かれ、佐賀地裁は九州各地からバスをチャーターして集まった原告であふれた。

 その法廷で、玄海町が47年前に原発立地候補地にされて以来反対の声を上げ続けて来た仲秋喜道さんが、「3・11」によって原発の「安全神話」の誤りが証明されたと言うのは「やはり最悪で不遜(ふそん)な悪魔の考えです。福島の現象はもっと残酷で、あってはならない厳しいものでした。自分がいかに甘く、無知であったことに気づき、自責の念に駆られます」と述べた言葉は、人々の胸に重く響いた。

 その夜、ツイッターの呼びかけで「再稼働反対!」と首相官邸を取り巻いた1万1000人のデモに、警官は「もっといましたよ!」と言ったそうである。

 追い詰められているのは彼らの方である。(しんぶん赤旗 2012年6月20日)