20130520_596334_t日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長の暴言で「旧日本軍『慰安婦』問題」に注目が集まる中、日本共産党の市田忠義書記局長は5月18日、「慰安婦」の悲しみを告発した沖縄県宮古島市の「女たちへ、アリランの碑」を訪れ、建立に携わった住民と懇談しました。

 のどかな田園風景と航空自衛隊野原基地が隣接する同市上野野原地区。アジア太平洋戦争当時、兵舎や弾薬庫とともに「慰安所」が併設されていた一角に2008年、地元住民の尽力で「慰安婦」の碑が建てられました。

 碑建立の土地を提供した与那覇博敏さん(79)は「私が小学5年の時、この碑が建っている場所で、『慰安婦』の姉さんたちが洗濯の帰り道に木陰で休息していた姿を鮮明に思い出す。韓国の女性たちだった」と証言。「『慰安所』が存在したことを知るものとして、戦争の悲惨さを後世に伝える責任を感じた。橋下氏の発言は許せない」と語りました。

 この間の調査で同市内に少なくとも16カ所の「慰安所」が存在し、150人の「慰安婦」が生活していたことが分かっています。

 碑に献花した市田氏は「形にして記憶を残していくことは本当に意味のあることです」と与那覇さんらをねぎらいました。

 市田氏は、戦争中の宮古島で衛生兵としてマラリアや飢餓で多くの兵士が亡くなる現場に立ち会った高沢義人氏(千葉県松戸市の元党市議)の歌碑「補充兵われも飢えつつ餓死兵の骸(むくろ)焼きし宮古(しま)よ八月は地獄」を訪れました。(しんぶん赤旗 2013年5月19日)