議員会館とちょうど背中あわせに星陵会館というホールがある。

 原爆症訴訟の歴史的な東京高裁判決の5月28日、日本被団協と原告団・弁護団の全国集会がひらかれた。被爆者とともにうたう「原爆を許すまじ」に、64年にわたる被爆者の苦しみとたたかいを思い、「核兵器と人類は共存できない」という叫びの重さを思った。

 私は判決直後の予算委員会で、無念のうちに亡くなった斉藤泰子さんのことをとりあげた。広島で、4歳のとき6歳のお姉さんと2人、お母さんに連れられて爆心地から1・4キロの家に戻り、がれきの山を素手で掘り返し、破れた水道管から水を飲んだりして被爆。発熱、下痢の急性症状、その後がんに苦しみ、裁判所は「原爆症だ」と認めたのに国はいまだ認めないのである。96歳になったお母さんは「あのとき2人を連れていかなければ苦しませずにすんだのではないか」といまも自身を責め続けている。わが祖母や母、娘の姿が重なり胸が引き裂かれる思いがする。

 原爆症はなお解明されていない。そこに病名や距離など何らかの線引きを持ち込んで不可能な立証を強いることはもう許されない。

 困難をこえてたたかってきたすべての原告の力が今日の歴史的な転機をつくりだしたのであって、被爆の実情に即して、一人のこらず救済されなければ全面解決はありえない。

 ノーベル平和賞受賞者17人が、オバマ演説に賛同して呼び掛けた「ヒロシマ・ナガサキ宣言」はこうのべた。「人類がこれまで3度目の核兵器による悪夢を避けることができたのは、単なる歴史の幸運な気まぐれだけではありません。第二のヒロシマやナガサキを回避するために世界へ呼び掛け続けてきた被爆者たちの強い決意が、大惨事を防止することに確かに役立ってきたのです」被爆国・日本の首相には、被爆者と直接面会し、その叫びに応えて被爆の実相を直視し、世界に発信し、核兵器廃絶のイニシアチブを発揮すべき義務がある。

 世界がみているのだ。(しんぶん赤旗九州・沖縄面2009年6月10日)