記録的な豪雨で死者も出た福岡県。被災、避難した住民は不安な夜を過ごしました。一夜明けた福岡市、北九州市では――。(竹原東吾)

 「水を吸った畳が家のなかで波を打っていた」。福岡市城南区の田島公民館に避難していた女性(63)は、浸水の様子を語ります。「昨夜はほとんど眠れなかった」と疲労感がにじみます。同公民館には、朝8時にはまだ3世帯7人が避難していました。

 「家主がもう建て直さないと言っている」。床上浸水した河野さんの家は、賃貸だったため、今後の住宅確保に不安を抱えていました。7月24日夜から避難所をまわり、被災者の要望を聞いてまわった日本共産党の倉元達朗市議が、「住宅や敷金の問題などがあれば、ぜひ相談してください」と声をかけると、少し安どした様子です。

 北九州市小倉北区の旦過(たんが)市場。商店街入り口は水に漬かったゴミ類がうずたかく積まれ、収集車に投げ込まれていました。

 果物屋の女性は「夜の8時ごろ、(商店街の真横にある)川が満ちてきて、危ないなと思っていたら、側溝の穴から水が噴き出してきた」といいます。店内はすぐに30センチほど浸水。商品に被害はなかったものの、「(果物を陳列する)冷蔵庫がだめになったかも」。

 北九州市小倉南区の長行東1丁目。紫川の真横に位置する住宅の住民ら十数人が泥と汗にまみれ、家屋や庭の清掃に励んでいました。住民によると、24日午後8時ころ、紫川の水があふれ、集落に流れこみました。最高時は胸付近まで浸水。町内会長(64)によると、住民は着の身着のまま集会所へ逃げ、動ける男たちで財産や衣服、食料を運んだ、といいます。

 ただ、この地域に避難勧告はありませんでした。「危ないと思い、集落に呼びかけ、自分たちで逃げた。何度も市役所に電話したのに、(返事は)かかってこなかった…」

 別の女性は清掃の手を休めず、「前から市役所には(越水した部分は)危ないといってきたのに、聞いてもらえなかった」と厳しい口調で話しました。

 同区で避難勧告発令時から各避難所、7月25日は被災地をめぐり、住民の声を聞いた高瀬菜穂子元県議は「より抜本的な対策は、治水です。今後も行政にかけあっていきたい」としています。

商売ができるか不安/豪雨被害の福岡・直方市 
調査の仁比議員に訴え

豪雨災害・直方須崎町商店街=2009.7.25

 7月25日、日本共産党の仁比聡平参院議員は、床上・床下浸水が相次いだ福岡県直方(のおがた)市に入り、被災者から被害状況や要望を聞きました。

豪雨災害・直方須崎町商店街=2009.7.25

 仁比氏は、日本共産党の那須和也市議とともに、冠水した「すさき商店街」を調査。店主らは店舗前の災害ゴミに困り果てた様子。那須市議が携帯電話で市に問い合わせし、清掃車がゴミを次つぎ収集していきました。

 呉服店主は「以前の水害経験からすると、3カ月間ほど店内とショーウインドーは乾かすことが必要だ。もう少し雨水の水位が高ければガラスケースも浮き上がっていたところだった。近くで工事中のポンプ場が稼働していれば床上までこなかったのに」と話しました。

 漢方薬系の薬局で店主(60)は「1991年から2003年までの間、4年ごとに水害を受けた。07年以降はなかったのに」と顔を曇らせました。この店主は、「水が引いたあとの1週間後には天井と壁に黒カビが生えるので、店内はさらに不衛生になる。今後、商売ができるのか不安だ」と語りました。

 仁比氏は商店主に、「住まいと商売を復活させることがカナメです」と商店主らから出された要望の実現に全力をあげることを約束しました。

 仁比氏は、同商店街などの水害対策として行われている「居立(いたち)川放水路築造工事」の現場や、水かさが増した遠賀川の堤防などを視察しました。(2009年7月26日(日)「しんぶん赤旗」)

豪雨災害・直方排水工事=2009.7.25

豪雨災害・直方は街=2009.7.25