冷たい生活保護行政
「2007年の終わりごろから生活保護を申請したいという市民には申請書を渡すようになった。いま揺り戻しも起きていますが、大きな変化です」―北九州市社会保障推進協議会の飯田富士雄事務局次長は言います。
北九州市は、生活保護を申請しようとしても福祉事務所の窓口で申請書さえ渡さない「水際作戦」で生活保護を受けさせず、05~07年に相次いで餓死者までだしました。厚労省も深くかかわる申請妨害行政は「北九州方式」と呼ばれてきました。
市は年間予算の枠内に保護費を抑え込むため、「数値目標」を設定。「福祉事務所に5回行っても申請書をもらえなかった」(80代女性)、「生活保護を辞退するよう『自ら強い意思で自立する』と書けと強要された」(60代夫婦)などの対応をしてきました。
飯田さんは「冷たい行政をただす運動と国会での追及が変化をもたらした」といいます。
餓死事件の現場で
06年5月、同市門司区で餓死した56歳の男性の遺体が発見されると、仁比そうへい参院議員(当時)は現場に直行し調査。「異常な保護行政で引き起こされた〝殺人〟といわなければならない」と記者会見で告発しました。
翌月の参院行政監視委員会では「最後の命綱である生活保護が窓口で断たれている。国が是正しなければ、再び、三たび、犠牲が繰り返される」と是正を迫りました。(九州沖縄民報2006年6月号外 生活保護の不受給 北九州市「孤独死」問題)
川崎二郎厚労相(当時)は「今後の行政に資するため本件のケースについては検証したい」と仁比氏に調査を約束。その後、厚労省は「対応次第では本事例のような結果にならなかった可能性がある」との調査結果を公表しました。
全国の研究者や弁護士ら250人の調査団による現地調査も行われ、「申請は権利」「申請・面接で第三者の同席を認めよ」の声が高まりました。翌07年の市長選では生活保護問題が大きな争点となり、新市長は生活保護の「数値目標を撤廃する」と約束。厚労省は全国に申請権の侵害や辞退届の強要をしないよう指導しました。
「安倍自公政権が復活したころからまた生活保護の申請が難しくなっていると感じる」と顔を曇らせるのは、同市の八幡生活と健康を守る会の吉田久子事務局長です。福祉事務所の面接室に置かれるようになった申請書がまた消え、生活保護を受給させず就労させようと、面接ではしつこく就労歴を問いただすといいます。
カーテン越しの声
仁比氏も冷たい生活保護行政を目の当たりにしました。1月の北九州市議選応援の時のけがで入院した病室には、大けがの手術を終えたばかりの建設労働者がいました。
建設不況で失業、国保料が高すぎて払えず保険証はありません。病院のケースワーカーに励まされて、生活保護を申請したものの、病室を訪れた福祉事務所の職員が名義だけの学資保険を理由に受給を認めないと話しているのがカーテン越しに聞こえたのです。
ベッドに横たわっていた仁比氏は「一言いわせてもらってもいいですか」と切り出し、「実質的にはその人の財産でもなんでもない。あなたはこのままこの患者さんに病院から出て行けというつもりですか。ドクターも看護師もスタッフもみんなが仕事に戻れるように頑張っているのに、無にするのが行政の仕事ですか」とただしました。職員は再検討するとして翌日、受給開始を回答しました。病院のケースワーカーはやりとりをリポートにまとめました。見出しは「黄門様現る」―。
仁比氏はいいます。「私がその場にいたというのはまったくの偶然。いまの生活保護行政の不条理をこれ以上まかり通らせるわけにはいきません。健康で文化的な生活が保障された憲法が生きる政治をつくりたい」(しんぶん赤旗 2013年5月17日)