「個人ではできんかった」
「わし一人やったら何もできんかった。こうやって頑張れんかったと思う」
岡山県津山市の井口貞信さん(68)は、屋根がゆがみ、ブルーシートのかけられた母屋の前でこう語ります。2011年3月、米軍機の低空飛行訓練によって土蔵倒壊などの被害を受けました。米国は損害賠償を拒否、防衛省は見舞金で幕引きをはかろうとしていますが、井口さんは土蔵や母屋の復元などを求め続けています。
「わし自身は飛行機と思うてなかった」と井口さん。「すごい音がして家全体が揺れ、地震だ、母は大丈夫かと思い家を飛び出した」といいます。母親(90)は地面にはいつくばって震えており、その直後土蔵が音をたてて倒れました。「飛行機が通った」という母親を「何をいうとる」とたしなめました。
専門家調査で判明
被害発生の2日後、土蔵のがれきを片付けていた井口さんに「どうしたんですか」と声をかけたのは、地域をまわっていた日本共産党の末永弘之・津山市議でした。〝地震で壊れた〟と聞いた末永市議は片付けを中止させて、すぐに津山市に調査と対応を求めました。県の職員が現場を確認して中四国防衛局に通報。米軍は海兵隊岩国基地所属の2機が津山市近辺を当時飛行していたことを認める一方、「日米合意(航空法『最低安全高度』の順守)は守っている」としました。
日本共産党は目撃証言をもとに専門家の協力も得て測量調査を実施。地上すれすれの高さ30~40メートル、土蔵から水平距離で200メートル飛行したと推定し、航空法(市街地で300メートル、それ以外150メートルの最低安全高度)違反だと告発しました。
仁比そうへい参院比例候補も現場にかけつけました。仁比氏は議員時代、国会質問や質問主意書で米軍機が航空法違反の低空飛行を繰り返していると追及してきました。当時の石破茂防衛相に「私も低空飛行に遭遇したことがある。本当に怖い。恐怖を感じる」(08年)と住民の精神的苦痛を認めさせました。
米軍機低空飛行を仁比議員が告発。「その恐怖は私も体験」と石破氏=2008.04.18
井口さんは仁比氏に「低空飛行がもう30分早ければ、母が下敷きになっていた」と訴えました。仁比氏は、中国四国防衛局に低空飛行訓練の中止と被害の補償を求めました。防衛局は飛行高度について「守っていると思う」「米側がそういっている」と強弁。仁比氏は「守っていないという住民の証言をなぜ調べないのか」と現地調査を求めました。
井口さんは、「最初だけ様子を見にきた市議や県議も、防衛省との話が出たら熱が冷めたように来んようになった」といいます。末永市議をはじめ日本共産党が一緒に防衛省との交渉などをすすめてきたことについて、「個人ではできんかった」と振り返ります。
防衛省が補償表明
米軍低空訓練中止を 仁比、参院四国候補が政府交渉
10ヵ月たった12年1月に、ようやく防衛省は「(原因は)米軍機の飛行のほかに見当たらない」として、公務上の事故として補償すると表明。井口さんに日米地位協定に基づく損害賠償請求を促しました。防衛省は「因果関係がないと言い難い」との立場で米軍と交渉したといいますが、今年3月に米軍は「立証が十分でない」と一蹴しました。
進まぬ交渉に業を煮やした井口さんは末永市議らとともに5月16日に上京、防衛省と交渉しました。「何メートルを飛行していたと推定して米軍と交渉したのか」の質問に防衛省側は「具体的な数字はない」、米軍に飛行記録の提出を求める気もないと表明。揚げ句の果てに「土蔵は腐朽していた」「周辺で窓ガラスが割れていない」など、因果関係まで否定し始めました。
同月28日に仁比さんは井口さんの自宅を訪ねました。「何年も待たせた結論がこれなのか。土蔵が古かったというが、屋根も膨れ、木が折れている。無風の状態で倒れるわけがない」と井口さんは慎まんをぶちまけます。40年間改良の努力を続けてきた和牛の雌牛は米軍機に驚いて流産しましたが、その補償もありません。仁比さんは「二度とこんな被害をだしてはいけない。いったんは防衛省に米軍機による被害と認めさせた。日米両政府に責任をとらせるまで一緒にたたかいましょう」と激励しました。(しんぶん赤旗 2013年6月8日)