○仁比聡平君 日本共産党の仁比聡平でございます。
私は、八十年前、広島と長崎に投下された原子爆弾のいわゆる黒い雨、放射性降下物による健康被害についてお尋ねしたいと思います。
通告を少し変えまして、長崎原爆による放射性降下物の被害の広がりと、その非人道性をどのように考えるのかと。この問題について、お配りをしています資料の二枚目ですが、私が現地を訪ねてまいりました長崎市が設置している原子爆弾観測用ラジオゾンデ落下地点のこの掲示板の写真をお配りをしております。御覧のとおり、爆心地から約十一・六キロの地点にラジオゾンデが落ちてきたわけです。このラジオゾンデというのは、米軍が原爆と同時にその原爆の威力の測定のために投下する落下傘付きの計測器で、これが風に乗ってこの十二キロ近くの旧戸石村、今は長崎市に合併されていますが、それから旧田結村、そして、今の諫早市になる江の浦村に落下をしたということなんですが、つまり、この風に乗って原爆と一緒に落とされたものがここまで来たんだから、これらの地域に放射性降下物が降ったということは、大臣、明らかではありませんか。
○国務大臣(福岡資麿君) 長崎につきましては、放射性降下物による残留放射能の影響を調査いたしました専門家の調査において、御指摘の地域の一部におきまして原爆由来と考えられる放射線降下物が検出されておりますが、爆心地からおおむね半径十二キロメートル以内の被爆地未指定地域においては、放射線降下物の残留放射能による健康影響が生じているとは言えないとされています。
また、過去の裁判におきましても、健康影響を生ずる可能性があると認めることはできない旨判示されているところ、現在、長崎体験者訴訟の控訴審でこの点が争われているものと承知をしております。
○仁比聡平君 確認したいんですけど、放射性降下物はあったとお認めになるわけでしょうか。
今、地域の一部というふうにおっしゃいましたよね。この戸石や、あるいは田結、江の浦、こうした地点での放射性降下物はなかったというのか、あるいは、それを認めるんだが、放射性、放射能はなかった、放射能を帯びていなかったとでもいうのか、どういう見解なんですか。
○国務大臣(福岡資麿君) 重ねて恐縮ですが、この御指摘があった地域の一部におきまして原爆由来と考えられる放射線降下物が検出されておりますが、爆心地からおおむね半径十二キロメートル以内の被爆地未指定地域においては、放射性降下物の残留放射能による健康影響が生じているとは言えないとされているところでございます。
○仁比聡平君 そんなことはないと。私は、原爆に遭った方々の戦後八十年、今日までの心身や人生そのものがこの放射能の被害だということを明かしている、証明していると思うんですよね。
資料の一枚目には、長崎県、市が調査をされた図をお配りしています。爆心地から戸石村、今申し上げた戸石村に向かう手前に矢上村というところがあります。
この矢上村、間ノ瀬地区で原爆に遭った岡田セツ子さんという当時五歳の方が私どものしんぶん赤旗のインタビューでこう話されているんですね。縁側でジャガイモのふかしたのを食べていたらぴかっと光り、お皿が割れました、驚いて防空ごうに入り、しばらくして外に出ると浦上の方が真っ赤になっていて、いろんな燃えかすが空から落ちてきました、家はお風呂の土壁が落ちたりガラス戸が割れたりしていて、畑に出ていた母は顔がひりひりしたと言っていました、小学校低学年のとき、おなかが痛いとよく早退していて、お医者さんに診てもらうと肝臓が悪いと言われました、膀胱がんや皮膚がん、高血圧など、いろいろな病気を患い苦労していますと。
ところが、被爆者健康手帳、いわゆる原爆手帳がもらえないわけです。それは、国が先ほども大臣が述べたような理屈をこねて、被爆地域ではないとしてきたからなんですよ。
この一枚目の図は、そうした中で長崎県と市が爆心地から十二キロ以内にありながら国が被爆地域ではないとする地域で、原爆に遭った被害の事実を明らかにするために行った証言調査の中から、雨だとか灰だとかという降下物、それから放射性物質が混入した飲料水、井戸水を飲んだり、放射性物質が付着した野菜を食べたなどのいわゆる内部被曝という、このことが示されている多数の記述を集計して示した図なんですね。
この爆心地から東側の方にグレーの棒グラフが高く伸びているのがお分かりだと思います。大臣、ちょっと御覧になっていただいていいですよ、その一枚目なんですけれども。今私がお話しした岡田さんという方の、矢上村のところには四百八十八人がこの灰という降下物の証言をしている。ラジオゾンデが落ちた戸石村では五百十件に上っている。古賀村、北の方ですが、ここでは三百六十二件、南の日見村では二百十件、あのビワで有名な茂木町では百十件など、大変顕著な数なんですよ。
私、福岡で、大臣、佐賀で、隣県ですから少しイメージが湧くんじゃないかと思うんですけれども、三枚目の図をちょっと見ていただいたらお分かりのとおり、この長崎市の周りというのはとても山が多いところで、その谷筋に集落があるんですよね。ですから、この中でこれだけの数の放射性降下物の証言があるというのはとても重いということは、大臣はお分かりなんじゃないですか。
○国務大臣(福岡資麿君) 委員御指摘ありましたように、私も隣県ですから、多少地理的なイメージというのは湧くということでございまして、その中で、今おっしゃいましたように、お一人お一人の証言、それは重いものでございます。
ただ一方で、御指摘の平成十一年の証言調査に降雨等の体験の記載がありますが、その数は、回答総数七千二十五件のうち雨については百二十九件、割合にして全体の一・八%になっているというふうに承知をしております。
この調査につきましては、過去に最高裁まで争われた裁判におきましても、そのバイアス等が介在している可能性を否定できないと指摘されていることなどから、御指摘の調査結果をもってのみ降雨、降灰などを認定することは困難であるというふうに考えております。
○仁比聡平君 今も大臣の答弁よくお聞きになられた方はお気付きだと思うんですけど、雨については少ないという表現をされるんですよね。それ、ずっと国が言ってきました。いや、本当にそうなのかと。決して長崎でも雨が降らなかったことではないという、黒い雨の体験というのはこれまでの調査の中で明らかになってきているんですよ。
加えて、私が先ほどお尋ねしたのは、灰を始めとした放射性降下物ですね。雨でなければ放射能がないとか、灰は放射能と関係ないなんてあり得ないじゃないですか。
そうした中で、三枚目の図面は長崎県保険医協会のホームページからの引用ですが、本田医師が丹念に調査を続けておられまして、戦後何度かのこういう証言調査のようなものが長崎県、市によって行われています。ここに、ABCCが行った調査の中で雨が確認できるもの、それから、戦後直後、マンハッタン調査団というアメリカの調査団が放射線量を測定をしたと、測定して回ったという数値をこの図面に落としたものということなんですけれども、驚くほどといいますか、当然のようによく一致しているわけなんですよ。
ところが、被爆地域と国が言うのは、一枚目の資料のピンクの部分、つまり旧長崎市、戦後直後の長崎市の行政区域の中だけだと。こんな話があるかということが大問題なんですよね。
その中で、先ほど御紹介した古賀村というとこで被爆をした陶山光子さん、当時国民学校の三年生ですけれども、こういう証言をしておられます。どんと大きな音がして伏せました、落下傘が落ちてきて煙が立ち上がり、臭いとともに空から紙、障子、切れた着物の燃えかすがどんどんこちらに向かって飛んできました、五円紙幣、一円紙幣もひらひら舞ってきて、それをつかむと形がなくなり、手が真っ黒のすすで汚れました、真っ黒な雨が降ってきて白服がびしょびしょにぬれ、泣きながら家に帰りました、その頃、水道はなく、山の水をためて使っていました、飲んだ水、お風呂の水、煮炊きした水に放射性物質が含まれていたと思います、一年くらい下痢が続き、歯茎から血が出たり、髪が抜けたりしたこともありました、高校一年生くらいのとき、がんで亡くなった同級生もいました、中学生のときに胸膜炎、三十歳くらいに虫垂炎と胃潰瘍、今は白内障、高血圧、腸や皮膚の薬も飲んでいますという。そうした証言といいますか、人生ですけど、被爆者そのものじゃないですか。
私、広島の黒い雨の被害者の会の皆さんに二〇〇〇年代の初めに出会って以来、一緒に取り組んできたんですけれども、今長崎で、御紹介をしたような被爆者って、広島にも同じような苦しみを訴えてき続けてきた方々がたくさんいらっしゃるわけです。そのうち八十四人の原告がこの被害の解決を訴えたと。その裁判が黒い雨の広島の裁判で、二〇二一年の七月に広島高等裁判所は、歴代政府の被爆者援護行政に根本的な見直しを迫る画期的な判決を私は下したと思います。
まず、厚労省に、局長にお尋ねをしますけれども、以来四年たちました。二〇二二年の四月に新たな基準に基づく取組が始まりましたけれども、被爆者健康手帳を新たに交付された方は、今一番直近の数字で何人になりますか。
○政府参考人(大坪寛子君) お答え申し上げます。
広島高裁での黒い雨に遭った方が原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者として被爆者援護手帳の交付を認める判決を受けまして、救済の基準を策定し、現在、訴訟外において救済を行っているところでございます。
本年三月末現在の黒い雨に係る被爆者健康手帳の交付状況、申請件数七千九百九十五件に対しまして、認定者数七千四百三十五件でございます。
○仁比聡平君 確認しますけれども、被爆者というのは、被爆者援護法の一条に各号の定義がありまして、いわゆる直接被爆とか、入市被爆あるいは救護被爆などと呼ばれてきたわけですが、この黒い雨の被害によって被爆者健康手帳を受ける方の給付、医療費始めとした給付ですね、これは、これまでの被爆者の皆さんと同じ予算の枠、令和七年度予算でいえば二百八十四億円になるんじゃないかと思いますが、原爆症、あっ、原爆疾病医療費によって賄われるということでいいですか。
○政府参考人(大坪寛子君) 御指摘のとおりでございます。
○仁比聡平君 つまり、大臣、広島高裁判決が確定する前までは被爆者としては扱われなかったという方が、この三年余りの取組の中で七千五百人近くの新たな原爆手帳を交付を受けたという方々がいるんですよ。それはつまり、被爆者援護法によって援護しなければならなかった方々をこれまでずっと切り捨ててきたということなんじゃないですか。この広島高裁判決の確定以降の皆さんの取組の中で、原爆症と手帳を交付された方々がこれだけたくさんいると、そのこと大臣、どう思われますか。
○国務大臣(福岡資麿君) 広島市及び長崎市に投下された原子爆弾は、幾多の尊い命を一瞬にして奪ったのみならず、一命を取り留められた被爆者の方々にも生涯癒やすことのない傷痕と後遺症を残したことから、被爆者援護法に基づき高齢化の進行している被爆者に対する保健、医療及び福祉にわたる総合的な対策を行っておるところでございます。
その上で、御指摘ありました黒い雨広島高裁判決については、総理談話において、過去の裁判例と整合しない点があるなど重大な法律上の問題点があり、政府としては本来であれば受け入れ難いものであるが、国の責任において援護するとの被爆者援護法の理念に立ち返って、その救済を図ると政府の立場を明らかにした上で、原告と同じような事情にあった方々について、判決を踏まえ、救済の基準を策定し、訴訟外においても救済することとしたものでございます。
この結果、先ほど答弁もしましたように、令和六年度末において七千四百三十五名の方に新たに被爆者健康手帳が交付されているところでございますが、引き続き、私どもとしては周知広報に努め、原告と同様の事情にあった方々の早期救済に取り組んでいきたいと考えております。
○仁比聡平君 私がお尋ねをしたいと思うのは、広島高裁判決が確定した、それは政府が上告を断念したということによるものです。上告を断念するに当たって、今大臣がおっしゃったように、自分たちの本意とは違うというふうにはおっしゃいましたよ。けれど、確定して、その確定判決と同じ考え方によって、つまり、原告と同じような事情にあった者は救済すべきだと、援護すべきだという考え方で新しい基準を作って、三年少したって新たに七千四百人を超える方々が原爆手帳を受けているわけでしょう。それは、被爆者援護法の一条三号がそのように運用されているということでしょう。
確認しますが、局長、このとおりですね。
○政府参考人(大坪寛子君) 広島におきましては、令和三年の広島高裁の判決を受けまして、そのような運用を行っているところでございます。
○仁比聡平君 その運用の考え方になっている高裁判決、お手元の資料の九枚目をちょっと御覧いただきたいと思うんですけれども、被爆者援護法一条三号、身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者をどう考えるのかと。これは、原爆の放射能により健康被害が生ずる可能性がある事情の下に置かれていた者と解するのが相当であり、ここでいう可能性があるという趣旨をより明確にして換言すれば、原爆の放射能により健康被害が生ずることを否定することができない事情の下に置かれていた者と解されるというこの考え方。
そして、争点三というところをそのまま読みますが、広島原爆の投下後の黒い雨に遭ったという暴露態様は、黒い雨に放射性降下物が含まれていた可能性があったことから、黒い雨に直接打たれた者は無論のこと、たとえ黒い雨に打たれていなくても、空気中に滞留する放射性微粒子を吸引したり、地上に到達した放射性微粒子が混入した飲料水、井戸水を飲んだり、地上に到達した放射性微粒子が付着した野菜を摂取したりして、放射性微粒子を体内に取り込むことで、内部被曝による健康被害を受ける可能性があるものであったことということじゃないですか。
こういう方々について、原爆の放射能により健康被害が生ずることを否定することができない、だから援護をしなきゃいけないという判決が確定して、その確定するまでのプロセスではいろいろ厚労省も言い分があったかもしれませんよ、けれど、確定して運用されているじゃないですか。
ところが、長崎では、同じような放射性降下物による被曝、これが被爆者として扱われない。おかしいじゃないかと。だから、長崎県、市を挙げて、被爆体験者を被爆者と認めよ、法の下の平等に反するという声がもう噴き上がっているわけですよね。被爆八十年の八月六日、そして九日を前にして、この問題を政治的に解決するということは私はどうしても必要なことだと思います。
この黒い雨や灰などの放射性降下物によって被爆者手帳を交付された人というのは広島被爆ではたくさん出ているわけですけど、長崎被爆ではつまりゼロということになるんですか、局長。
○政府参考人(大坪寛子君) お答え申し上げます。
広島高裁判決を踏まえまして広島において運用しているものでございますので、長崎に対しては現在適用しておりません。
○仁比聡平君 大臣、異常だと思いませんか。被爆者援護法の一条三号という同じ条文が、広島、長崎で別、違う運用をされてしまうと。そんなことあってはならないでしょう。
この被爆者と同等の医療費助成というのを、そうした中で岸田前総理が、政府として検討しなきゃいけないと、合理的に解決できるように、具体的に調整を指示したと去年の八月九日におっしゃって、この間の十二月からそういう仕組みが始まったんですよ。被爆者と同じように医療費の助成をするという取組が始まっているわけですね。私は大事なことだと思います。
これまでは、私が申し上げている地域について、原爆体験によるPTSDや不安、そういう精神疾患というところに着目して支援する、援護するという取組だったんですけど、もう精神疾患は関係ないと、被爆者と同じように医療費助成をするという以上は、法の一条三号の被爆者だということを正面から認めて、援護の対象にすべきではありませんか。
○国務大臣(福岡資麿君) 長崎の未指定地域のうち、いわゆる被爆体験者の方々につきましては、過去に最高裁まで争われ、原爆投下後、間もなく雨が降ったとする客観的な記録はないことなどから、身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあったとは言えず、被爆者として認定できない旨の判示がなされているところでございます。
こうした中で、御紹介いただきましたように、令和六年八月に、当時の岸田総理から厚労省に対しまして、早急に課題を合理的に解決できるように具体的な対応策を調整するよう指示がなされまして、原爆体験者の方々は平均年齢も八十五歳を超えられ、多くの方が身体的健康度の低下に伴う様々な疾病を抱えて長期療養を要されていることを踏まえまして、昨年十二月一日より、新たに第二種健康診断特例区域治療支援事業を開始し、一般的な疾病について被爆者と同等の医療費助成を実施しているところでございます。
御案内ありましたように、本事業では、被爆体験による精神的要因に関連する疾病、疾患に罹患しているかどうかを要件しておりませんで、令和六年度末までで三千九百五十八人の方々が旧事業から移行されているというふうに承知をしております。
引き続き、こうした施策を着実に実施してまいりたいと思います。
○委員長(片山さつき君) お時間が来ております。
○仁比聡平君 今おっしゃった事業というのは、結局、今年度の予算事業なんですよね。法に位置付けられた援護策じゃないんですよ。
何で戦後八十年、被爆八十年たってそんな姿勢なんですか。その姿勢が、核兵器禁止条約にも参加をしない、こうやって被爆者が生きているうちにという思いを踏みにじるという、本当に許し難い。
○委員長(片山さつき君) もうおまとめください。お時間来ております。
○仁比聡平君 根本からの転換を求めて、今日は質問を終わります。