○参考人(塩田千恵子君) 本日は、今特別委員会に参考人としてお呼びいただき、ありがとうございます。
日本障害フォーラム、略称JDFは、全国の十三の障害当事者団体を中心に、障害のある人の権利を推進することを目的に障害者権利条約の実施を目指して活動しています。
災害支援においても、障害者権利条約第十一条を踏まえ、災害総合支援本部を常設しており、被災地支援活動は、東日本大震災、熊本地震、そして今回の能登半島地震で三回目となります。能登半島地震においては、二〇二四年の五月に支援センターを立ち上げ、全国のJDFの加盟団体から毎週六人程度のスタッフが七尾市の和倉町の支援センターに集まり、奥能登地域や七尾市周辺などで活動を行っています。
資料集の四ページから八ページを御覧いただけたらと思います。
私自身は、先遣隊として発災直後の一月十四日から被災地入りしました。道路はあちこちで遮断され、水が出ない、トイレも使えるところがほとんどない中で、富山県の高岡市に宿泊しながら、片道五時間以上掛けて、輪島や珠洲など奥能登地域の障害のある人の状況把握に努めました。その後現在まで、月に一回、一週間ほど被災地に入って支援活動を続けています。実は五月もあさってから能登に入る予定になっています。
本日、このような機会をいただいて、被災された障害のある人や関係者に代わって、今の能登半島の現地の状況をお伝えし、今回検討されている改正法案に対する意見を三点にわたって述べていきたいと思います。
まず、一点目です。
今、先生方からのお話もありましたけれども、救助の種類に福祉サービスの提供が加えられたことは、被災された方たちの多様なニーズに応えるためにもとても重要なことと思います。その実効性を持たせるためにも、今回の改正法案で盛り込まれた協力義務などによって被災者援護協力団体の自主的な活動が妨げられないようにすることが必要だと思っています。それから、JDFなど民間団体の活動への資金面での手当て、これも必要だと考えます。また、福祉サービスの提供は生活に対する支援です。そのため、応急期と復興期に分けられるものではありません。切れ目なく地続きでつながっていくものでなければならないと考えます。
そのような観点から息の長い支援が求められるわけですけれども、JDFは今でも支援活動を続けていますが、ニーズは減るどころか増え続けています。災害救助法による支援も、応急期が終わったからと一方的に終了するような支援であってはならないと考えます。能登の障害のある人全てに地震前の生活があり、地震で失われたもの、失われた生活があります。そして、それでも続いていく生活の営みがあります。私は、その営みの尊さを感じながら支援活動を続けています。
被災した障害のある人にどのような課題があるのかを具体的事例でお伝えしていきたいと思います。個別事例の紹介なので、個人が特定されないよう名前と居住地は伏せますが、全て奥能登地域、中能登地域に居住されている方です。ほとんどの方が障害者手帳をお持ちです。一人一人の個別の姿を踏まえて、そのニーズに応えられるような法改正となることをお願いしたいと思います。
まず、住まいの課題です。
資料集の九ページの写真を御覧ください。
四十歳代で車椅子を使用されている全介助の脳性麻痺の方が六十歳代の両親と暮らしているアパートです。地震で自宅は住めなくなり、三か月間車中泊をされていました。仮設住宅の建設も進まない中、知り合いの人に紹介されたアパートの二階にみなし仮設として住んでおられます。この二階に住んでおられるんです。
訪問介護、訪問看護、訪問診療などを使いながら御本人は一歩も外に出ることなく生活をされていましたが、病院での治療が必要となって、私たちJDFに支援依頼がありました。次の、その下の写真のように、御本人を二人のスタッフが抱えて狭い階段を下りて通院の支援を行いました。
その後、仮設住宅の空きがあるという情報もあったのですが、御家族は、引っ越しが大変なので、数年で出なければならない仮設住宅に今から行く気持ちはないと話されました。どうにか御自宅を建て直して落ち着いた生活をしたいとのことでした。
今回の改正法案で、車中泊で避難生活を送る要配慮者に対しても福祉的支援を充実というふうにありますけれども、そもそも車中泊をしなくてもいいような避難所の充実を図るべきではないでしょうか。一般の避難所に行けず、福祉避難所も機能しない中、取り残された障害者がたくさんいます。
お二人目は、五十代の精神障害の方の事例です。
七十代のお母さんとお二人で生活をされているところに地震があり、御自宅は半壊状態。仮設住宅は当たったんですけれども、御本人が調子を崩すと大きな声を出してしまうということからお母様が気を遣われて、そのまま御自宅で生活をされています。
JDFには、雨が降るとむき出しの電気設備の漏電が心配なのでどうにかならないかという御相談でした。電気業者を紹介して漏電しないようにはしてもらいましたが、改修や引っ越しのめども立たず、いまだに発災直後から変わらない壊れた家にそのまま住み続けておられます。
私は熊本地震のときにも支援に入りましたが、熊本では二戸一の仮設住宅が建てられていました。両側がお隣の部屋ではなくて、片側だけでも外に面していたら、障害を抱えた御家族だけではなく、全ての被災者にとっても住みやすい仮設住宅になるのではないでしょうか。
また、狭い仮設住宅では、さきに紹介した脳性麻痺の方のように車椅子が必要な方は生活できません。障害者が住めない仮設住宅であることは東日本大震災のときから変わっていないのです。住環境の整備は福祉サービスの提供の大切な課題であると考えます。
次は、移動支援の課題です。移動の課題です。
移動支援のニーズはとても高く、切実なことを日々実感しています。JDFの移動支援は全て無料で、車両は全国の加盟団体からお借りして、ガソリン代や車の維持費は寄附で賄っています。
個別の事例としては、地震前は病院が自宅までの個別送迎をしていたけれども、地震後、幹線道路のバス送迎だけになり、そこまで身体障害があるので歩いて行けない、その方が通院ができなくなったので私たちが通院支援をしています。
また、金沢医科大学病院に行くために地震前は金沢までの高速バスを使っていたけれども、仮設住宅に住むようになって、その高速バスのバス停に行くことができずに通院ができないという知的障害の方がおられて、その方の通院支援をしています。
また、身体障害をお持ちのために災害復興住宅のお風呂が使うことができずに、離れた公衆浴場に行かざるを得ない人の送迎もしています。
JDFの移動支援がなければ通院も入浴もできない人たちです。
元々、公共交通機関が脆弱な地域で、地震により大きな被害を受けた交通網のために多くの被災者が不便な生活をされていると思いますが、その中でも障害のある人とその家族が取り残されている実態は放置できない状況です。特に、市や町の中心部から離れたところに建設された仮設住宅は車がないと生活できず、障害者や高齢者が取り残されています。
九月の豪雨災害の直後に、配食サービスも移動スーパーも休業となり食べるものがないと仮設住宅にお住まいの身体障害の方から連絡があって、食料を届けました。また、地域のバスが復旧したのでと私たちの支援を断ってこられた仮設住宅にお住まいの精神障害の方にお話を聞くと、そのバス停までは歩いて片道二十分から三十分掛かるとのことでした。自家用車を使えない障害のある人の移動の課題は本当に深刻だと日々実感をしています。
最後は、地元の支援者不足の課題です。
JDFのボランタリーな支援はいつまでも続けられるものではありません。しかし、地元の障害福祉の事業者に引き継いでいくめどが立ちません。全国的に福祉の担い手不足が言われていますが、能登の被災地は一層深刻です。発災直後から必死に障害のある人や事業所を守り支えてきた人たちがこの間退職をされています。残った人たちは少ない職員で業務過多になりながら支援を続けており、JDFへの事業所支援への要請が増え続けています。職員さんたちのメンタル不調も見逃すことができません。
支援団体の支援を現地のサービスにつなげることをしないと、被災した障害のある人の生活再建はできません。被災地の人手不足に対応するような特別の報酬等の手だてがなければ、福祉的サービスの提供を地元に引き継いでいくことは困難だと日々実感しています。
改正法案に対する意見の二点目は、第三十三条の二の三、いわゆる欠格条項に対する意見です。
この間の国会では、防災担当大臣より、障害のある人を排除する意図は全くないとの御答弁がありました。しかし、役員に心身の障害により被災者援護協力業務を適正に行うことができない者がいる場合は被災者援護協力団体に登録できないとの規定を明示するということは、障害者権利条約第一条、障害者基本法第一条に反しています。この条文は削除してください。この条文は、拘禁刑以上の刑に処せられた者とか麻薬中毒者などと並んで心身の障害のある者という、そういう記され方がしています。反社会的な行為をした者と並べること自体が偏見を生むことにつながりかねないと懸念します。
昨年、旧優生保護法が障害のある人を不良な子孫と決め付けたことによって優生思想が広まり、障害者に対する差別、偏見を生んだことを国も国会も謝罪しました。にもかかわらず、またこのような条文を加えることは大変遺憾です。法律にこのようなことが書かれること自体が、障害のある人は被災地支援に加わることができない能力の低い者として差別や偏見を生むことにつながるのではないでしょうか。
五月二十五日の本会議で厚労大臣は、仁比議員の質問に答えて、ピアサポートの重要性を答弁されました。被災地においてもピア支援はとても重要と考えます。
和倉温泉のホテルでマッサージ業を営んでおられた視覚障害の方がホテルの休業で職を失っておられます。その方たちの集まりをJDFとNGO団体との共催で行いました。その際、視覚障害者のスタッフがファシリテート役を務め、大切なニーズ把握の場となりました。資料集に「やわやわと」という私たちのニュースを付けています。その六号を御覧いただくと、そのときの様子が記事になっていますので御覧いただけたらと思います。ピアサポートを始め、障害のある人が支援活動に参加できるような合理的配慮こそが必要です。「やわやわと」の四十八号には、先週支援に入った難聴者のスタッフの活動が記されています。併せて御覧いただけたらと思います。
障害のある被災者のニーズを的確に把握し、地元の障害者団体とのつながりを支援に生かすために、被災者援護協力団体に障害のある人が役員として加わることの意義は大きいと思います。このような条文は重ねて削除をお願いします。
三点目は、被災地支援にジェンダーの視点を入れていく必要性について述べたいと思います。
女性の立場から避難所の整備をしていくことの大変さがやっと言われ始めていますが、とても重要なことと考えます。
今回、私は一月十四日に被災地に入り、トイレが使えないことの大変さを体験しました。トイレが使えずに大変と一言で言っても、男性の大変さと女性の大変さは全く違います。男性目線での支援では見えないことが、女性が支援活動に携わることで見えてくるのだと思います。
また、JDFは定期的に仮設住宅に住む障害のある方を訪問していますが、男性スタッフが訪問しても表に出てこられない身体障害の方が、女性スタッフが訪問するとおうちに上げてくださってたくさんお話をしてくださいます。その中で困っていることも伝えていただいています。様々な性の被災者に寄り添うには、支援者にも様々な性の人が入るべきだと考えます。
被災地の支援活動は、危険もあり、ライフラインも混乱していて力仕事が多いからと、丈夫な男性がするものだという固定観念があります。しかし、障害のある人や女性など多様な人が支援活動に加わることで、柔軟で被災者に寄り添う支援ができるのではないでしょうか。
地震から一年五か月。大変な中でも前を向いて進もうとされている方にもたくさん出会いました。
地震前引きこもっていた精神障害の方の部屋の片付け支援に入りましたが、その方は、現在、引きこもった状態から一歩踏み出して、障害者事業所、B型事業所に通われています。片付け支援で単に部屋がきれいになったというだけではなく、毎週全国から来る支援スタッフとの触れ合いの中で人と関わることに対するハードルが下がった。JDFさんの支援はまさしく人を大切にする支援ですねと地元の相談員の方からお話をいただきました。
福祉サービスの提供とは、まさに人が生きることへの支援です。誰一人取り残さない、そういう被災者支援が柔軟に、そして十分に行える法改正となることを重ねてお願いして、私の発言を終わります。
ありがとうございました。
○仁比聡平君 日本共産党の仁比聡平でございます。
皆さん、本当にありがとうございます。
冒頭、塩田参考人から、この法案の心身の障害という条文によって欠格条項を置いているという、この件について、障害者権利条約の第一条、障害者基本法第一条等に反しているという強い御意見がありまして、私もそのとおりだと思いますし、先ほど自民党の古庄議員からもそうした趣旨の御発言もありました。
そこで、三人の参考人の皆さんにこの点についての御意見をお伺いできればと思うんですけれども、鍵屋参考人、菅野参考人、加藤参考人という、そういう順でお願いできますでしょうか。
○参考人(鍵屋一君) 私も全く同意見でございます。
障害者権利条約というものを批准して、そして合理的配慮をしながら、しかも、塩田参考人がピアサポートの重要性というのをおっしゃっていました。やっぱり目の不自由な方のつらさというのは目の不自由な方が一番よく分かるわけです。そういう方々が自然に支援に入れるようにするのが望ましいと考えておりまして、ちょっと踏み込み過ぎたかなという印象を私も受けておりますので、塩田参考人の御意見に賛同いたします。
○参考人(菅野拓君) 私も同意見です。
やはり、熊本地震なんかでも、やはり当事者の方が分かるからこそ当事者の方が支援に入られるなんということが例えばあったわけですね。それは能登でも同じですし。そうやって様々なことを、JDFさんなんかまさにそうなんですが、蓄積されていらっしゃるというのがありますので、やはり障害というものを事由に欠格してしまうと、これはまずいということだと思っています。
○参考人(加藤孝明君) この分野は私、詳しくはないんですが、一市民として考えるとやっぱり違和感がありました。
今、地域のNPO、障害者の方もいらっしゃるNPOとの付き合いがあるんですが、付き合ううちに、特に意識せず普通に付き合っていますので、そういう経験からもやっぱり違和感は一市民として感じました。
○仁比聡平君 改めてその点について、塩田参考人、ほかの三人の参考人から心強い御発言だと思うんですけれども、この当事者による支援の重要性、それから障害者団体において心身に障害のある方が役員をお務めになっている、そのことが支援にとってどんな意味を持っているのか、お話しいただければと思います。
○参考人(塩田千恵子君) ありがとうございます。
能登半島地震において、実は聴覚障害の方のニーズがなかなかつかめなかったんです。聴覚障害の全国団体の方から、能登に住んでおられる聴覚障害者の名簿を提示してほしいというお話があったんですけれども、その名簿が提示もされずに、なかなか聴覚障害の方のニーズがつかめなかった。
やはり、地元のそういう聴覚障害であるとか個別の障害団体というのはそれぞれの地域にあるので、そことの連携というのがとても大切だなというふうに思っています。地元の障害者団体はやはり地元に住んでおられる障害者の人の状況を一番分かっておられますから、そういう人たちと連携していく、そういう人たちが災害支援の団体に役員として入っていくことで、そういう連携を強められる強みというのはあるというふうに感じています。
なので、こういう項目が本当に新しい法律の中に残される、新たに付け加わるということは、世の中の流れからいっても本当に違うというふうに、今三人の先生方からのお話にありましたけれども、本当におかしな条文だなというふうに感じています。
以上です。
○仁比聡平君 ありがとうございます。
そこで次に、そのJDFのこの支援の一年五か月の特徴として、地元の行政の例えば福祉課の職員さんとか、あるいは保健センターの保健師さんとか、相談支援専門員の方とかという、平時といいますか、災害前からずっとその当事者の支援に関わってきている方々から、言ってみればせっぱ詰まったような相談が寄せられる、ケースが寄せられる、そこに懸命にJDFの皆さんが応えておられるという、そこが今回の法案が取り組もうとしている新たなこの民間との連携、そこの現場の実情といいますか、ここを示しているように思うんですよね。
ニーズをつかんでも支援の担い手がいないという、この能登のみならず全国の実情というのは極めて深刻なんじゃないかと思うんですけれども、この災害前から深刻だというこの地域の福祉の実情について何かお話しいただければと思います。
○参考人(塩田千恵子君) 災害前からやはり今福祉の現場は本当に人手不足が深刻です。なので、なかなか必要な支援が障害のある人のところに届かないという実情があります。
能登でいうと、例えば移動支援のことを先ほどお話ししましたが、多くの自治体ではガイドヘルパーという制度が自治体の事業としてあって、ガイドヘルパーさんが障害者の外出支援をしていますけれども、能登の地域に入ってガイドヘルパーが障害者の移動支援をしているというお話を聞かないんですね。
制度としてはそれぞれの自治体は持っているけれども、ヘルパーをする人がいない。要は、家の中に入って身体介護ですとか家事援助ですとか、そういうことをするヘルパーはいるけれども、移動、病院ですとか、それからレクリエーションですとか、そういうガイドヘルプをする人が元々奥能登の地域には少なかったと、それが今回の震災でますます少なくなったということを聞いています。
先ほど議員のお話ありましたけれども、官民連携ということでいうと、その官というのは、本当に地元自治体の、障害のある人又は高齢者のニーズを一番把握されているのは、その地元自治体でその方たちと直接つながっている市の職員さんであったりとか保健センターの保健師さんであったりすると思うんですね。その人たちが、ニーズは分かるんだけれども、地震以降どういうふうに助けてあげていいのか、その手がないということで私たちに連絡があります。
先日は、ある町の、市の担当者の方が、放課後等デイサービスの職員が不足していると、辞めてしまった、この町にとってその放課後等デイサービスの存在はとっても大事。看護師さんのお母さんがそこに子供を預けている、障害児を預けているので、そこの放課後等デイサービスが潰れてしまうと看護師さんが働けなくなってしまう。なので、その放課後等デイサービスはどうしても続けてもらわなくちゃいけない。でも、職員が辞めて今存続の危機になっているので、ボランティア団体である私たちに支援に入ってほしいというお声がありました。
本当に、そうやって今、能登の地元自治体の人たちが、この町の復興のためには福祉に関する支援というのはとても必要なんだけれども、そこが人手不足で大変になっているという状況の中でとても御苦労されているなということを実感をしています。
以上です。
○仁比聡平君 今、塩田参考人から御紹介もあったような実情に関してほかの参考人の皆さんにお尋ねしたいと思うんですけれども、先ほどと同じ鍵屋参考人からの順番で、鍵屋参考人、菅野参考人、加藤参考人とお尋ねしたいんですが。
能登の災害に対しては、それぞれ様々な形で関与をしてこられたと思います。この一年五か月たってのこの現状をどう見ておられて、どうすべきだとお考えになるか。特に、今の塩田参考人、JDFのレポートにあるように、公的支援に本来つなげていかなきゃいけない、けれど、公的支援に引き継いでいくめどが立たないと、逆にボランティアへのニーズが増え続けていると、これをどうするのかというのは目の前に迫られているし、それから、これからの災害対策考える上で大事な問題ではないかと思うんですが、いかがでしょうか。
○参考人(鍵屋一君) 私ども、実は福祉避難所を開設したというところを三十二か所ほど全部回って調査をいたしました、いろいろと。そうしたら、先ほどもちょっと申しましたが、平均開設期間は百十日でございました。そして、福祉避難所をやりたいけれども断水でできなかったというところもたくさんございました。
そういうことを見ると、奥能登では恐らく産業としては福祉産業が一番大きな産業、雇用を吸収し支えているところだろうというふうに見ていましたので、福祉産業が続かないということは、即なりわいの問題、そして、もちろん被災者のつらさもありますけれども、働いている人たち、それから子供を預けている人たち、様々なところで地域社会が壊れていってしまうということだろうと思います。
そういった意味では、福祉施設、福祉産業をしっかりと守っていくということが地域を守っていくことにつながっていくんだなというのを私も現場に行ってもう本当に実感しました。結構大きな社会福祉法人ですとその助け合いの中でやっていくんですけれども、障害者の社会福祉法人って小さいところが多いので非常に厳しいんですよね。そこを上手にやっぱり支えていかないと地域のサステナビリティーというのは守れないんだなというのを改めて感じたところです。
○参考人(菅野拓君) ありがとうございます。
実は、石川県の知事特命アドバイザーみたいな形で一月の段階から災害対応に一緒に関わってまいりました。様々問題は感じながらもなんですが、正直言うと、そのときの想定したこととほぼ同様のことに今なっている、ずれがない、私の個人としては、と思っています。現行制度や現行の体制でやるとこうなるだろうと、こういうふうに理解をしている部分です。
実はそのとき、幾つかそのために少しでもそれを覆そうという形で入れ込んでいた政策、先ほど平木先生から御質問いただいた、例えば分散型の水みたいな話とかインフラ復旧の部分とかで、そういうものだったんですね。あとは、例えば、住宅を補修をするところに資金を付けていくべきだと、また要援護者の方からそれをやっていくべきなんだというのが、実は今回は上乗せの三百万円みたいな形で制度化されていくということにつながった部分もありますが、幾つかつながらなかったものもあります。
端的に言いますと、私、雇用創出のメニューがなかったというのが今回の最大の問題だったと思います。要は、例えば、いっとき仕事がなくなるわけですね、被災地というのは。仕事がないと当然外に出るわけですね。だから、若い人から出た。そうすると働き手がいない。まさにそれは、先ほどのでいうと看護師さんであったり福祉職の方だったりと。だから、その人たちがいっとき仕事がなくなるということがあってはまずいわけですね。そこで、やっぱり復興に関わりたい元気な方というのは働いてもらわなきゃいけないと。
ただ、そのためのメニューが、実は、いわゆる失業のときに早く給付が出るとか、仕事はないんだけど雇用を抱えてねって、こういう話でしかなかったので、実は本当はいろんなニーズがあっていろんな仕事があるはずなのに、そこは要はボランティアワークで埋めなければいけないと、こういう構図になってしまったんだと思います。
まさに災害というのは社会の全般を襲うものですので、縦割りでなかなかできない、だから各省庁が連動しなきゃいけないんだという話なんですが、東日本のときはあった緊急雇用創出事業が、あれはまさにリーマン・ショックのものを流用したということになると思いますが、やっぱり、そういった雇用創出のメニューというのは真剣に考えないと連鎖的に地域が崩壊していってしまうと。ここはしっかりと考えるべきことだなというふうに思います。
○参考人(加藤孝明君) 復興のときに様々な苦難、問題が生じると思いますが、復興の法則というのが実はあって、これは私の研究の中であるんですが、そのうちの一つに、やっぱり復興で出てくる問題というのは平時の問題が深刻化して同時に生まれてくるんだと。つまり、平時に問題があったものは復興のときにも当然問題になってくると。
そう考えると、平時に解けない方法で対処しても災害時の問題解けないわけですね。ですから、そういう意味では、災害時で生じる問題に対しては災害時ならではの例外的な工夫というものが基本的には不可欠だというふうに思っています。具体的にそれぞれの問題に対応して、それぞれの専門領域の人たちが知恵を出していくということを今後継続的に進めなければいけないというふうに思います。
○仁比聡平君 ありがとうございました。
塩田参考人に、今すぐ求めたいこと、抜本的に福祉を良くするために求めたいことということをお伺いしようと思いましたが、時間が参りましたので、是非皆さん、JDFの要望書などをよく読んでいただければということをお願いして、終わります。
ありがとうございました。