○仁比聡平君 日本共産党の仁比聡平でございます。
大臣も、それから委員長始め皆さんも、本当にお疲れさまでございます。
私は、水俣病被害者の完全救済についてお尋ねしたいと思います。
浅尾大臣もお出かけになると思いますけれども、五月一日、水俣病公式確認六十九年目になる慰霊式が行われます。来年は七十年ということになります。新潟水俣病は今年六十年目を迎えるわけですが、そうした中で、お手元に資料お配りしておりますけれども、昨年七月から九月にかけて、新潟県議会と新潟市、阿賀野市、五泉市、阿賀町、つまり阿賀野川流域の全議会が、新潟水俣病全被害者の救済と問題解決に向けた取組を求める意見書をいずれも全会一致で採択をしています。
この中で、近年、新潟、大阪、熊本の地方裁判所において、従前の救済策では救済されない被害者が多数存在していることが示されている、原告を水俣病と認める判決が相次いで出されているという、こういう趣旨が明記をされ、とても高齢化してきている被害者の生きているうちに解決をという切実な叫びに応える速やかな解決を国に求めているわけですが、浅尾大臣はどう受け止めておられますか。
○国務大臣(浅尾慶一郎君) お答えいたします。
現在もなお訴訟を行う方が多くいらっしゃるという事実は重く受け止めており、原告の中に御高齢の方が多くいらっしゃることも十分認識をしております。他方、現在、高裁、高等裁判所で係争中の訴訟では、その地裁判決には国際的な科学的知見や最高裁で確定した近時の判決の内容等と大きく相違する点があると認識しており、必要な対応を行っているところであり、現在係争中の訴訟における和解については考えておりません。
その上で、水俣病対策の補償、救済については、これまで公害健康被害補償法に基づいて三千人が補償を受けられることに加え、平成七年と平成二十一年の二度にわたり政治解決がなされ、最終的かつ全面的な解決を目指してきたものと承知をしております。
水俣病問題については、その歴史と経緯を十分に踏まえつつ、現行の公害健康被害補償法の丁寧な運用、医療、福祉の充実や地域の再生、融和、振興などしっかりと取り組んでいくことが重要であると考えております。
○仁比聡平君 裁判上和解する気はないなんということを今の段階でそうやって言い放つというのは、私は本当に冷たい姿勢だと思いますね。
公健法の運用というふうにもおっしゃるんですけれども、このそれぞれの自治体の意見書の前文にあるように、前提とされている昭和五十二年判断条件では駄目だと、それを満たさなくたって被害者を被害者として認めなきゃ駄目じゃないかというのが平成十六年の判決だったり、あるいは平成二十五年の最高裁判決だったりするわけですよね。症候複数の組合せということじゃなくて、総合的に検討して水俣病と認定するという余地、これは排除してはならないじゃないかというのが最高裁じゃないですか。一人環境省がそうした冷たい姿勢を繰り返していると。
確認しますけれども、阿賀町の意見書に、二〇二三年の九月の大阪地裁は原告百二十八人全員を、二四年三月の熊本地裁は二十五人の原告を、そして四月の新潟地裁は二十六人をそれぞれ水俣病と認めたというふうに書かれていますが、これはそのとおりですね。
○政府参考人(中尾豊君) お答え申し上げます。
御指摘の三つの地裁判決に関しまして、令和五年九月の大阪地裁判決が原告百二十八名全員について、令和六年三月の熊本地裁判決が原告のうち二十五名について、同年四月の新潟地裁判決が原告のうち二十六名について、水俣病の罹患を認めているものと承知してございます。
先ほど大臣からも申し上げましたけれども、これらの地裁判決には国際的な科学的知見や最高裁で確定した近時の判決の内容等と大きく相違する点があるとの認識の下、現在、高等裁判所において必要な対応を行っているところでございます。
○仁比聡平君 環境省があくまで争い続けるということなんですよ。
私は、焦点は、これまでの救済策では認められてこなかったけれども、現に苦しんでいる被害者の方々が裁判所によっても被害者であると認められ、そして私たちの目の前にいるということなんですね。
今日、東京訴訟の原告の方々を始めとして傍聴もしておられます。私、この判決で救済すべきだと認められた被害者の一人として、まず、熊本県天草市の河浦町宮野河内という地域で生まれ育ち、暮らしている藤下節子さんという方のことをちょっと紹介したいと思うんですね。
資料の七ページ目に、特措法の申請をしたけれども、暴露要件は非該当だという通知を受けているという原告です。九ページに簡単な陳述書を付けていますけれども、そこにあるように、この方、看護師さんなんですよね。
もう一つの次の資料にあるように、お父さんは漁協の組合員で、両親は漁業をやっていた。二人のお兄さんは巻き網漁の乗り子として働いていた。目の前には何しろ不知火海が広がっているわけで、魚を毎日毎日食べて生活をしてきたわけですね。
十二歳の頃から、よくつまずいたり、転んだり、物を落としたり、ぶつかったり、手足のしびれ、夜になるとカラス曲がり、こむら返りのことですけど、に悩まされるようになった。
看護師になってからは、例えば注射の途中で指がつって同僚に替わってもらうとか、薬の分包作業が遅かったりとか、大腸の検査をするときに、指先の作業に手間取って、ドクター、先生から、ほかの人に替わりなさいと言われたこともあったというふうに苦しんでこられた方なんです。
兄弟がいらっしゃって、上のお兄さんと次のお兄さんは特措法の救済対象になっているんですよ。なぜかというと、対象地域だと県が指定している長島というところで働いていたから、だから、暮らしていたからなんですね。子供の頃から同じように魚を多食し、そして同じように症状が出ているのに、こんな理不尽な扱いはないじゃないかと私は思うんですが。
そこで、まず環境省に申請の手続について聞きたいと思いますけれども、資料の十二ページ、十三ページに環境省が作っている申請の手引というのを付けています。ここも見ていただきながら、この藤下さんが非該当とされた暴露要件というのはそもそも何なのか、そして暴露要件と対象地域というのはどんな関係になるのか、説明いただけますか。
○政府参考人(中尾豊君) お答え申し上げます。
水俣病被害者特措法では、資料でもお配りいただいてございますけれども、通常起こり得る程度を超えるメチル水銀の暴露を受けた可能性がある方のうち、四肢末梢優位の感覚障害又はそれに準ずる感覚障害を有する方が対象となってございます。
このうち、通常起こり得る程度を超えるメチル水銀の暴露を受けた可能性がある方とは、熊本県及び鹿児島県においては昭和四十三年十二月三十一日以前に、新潟県においては昭和四十年十二月三十一日以前に、対象地域に一年以上居住していたため、水俣湾又はその周辺水域あるいは阿賀野川の魚介類を多食したと認められる方、対象地域に一年以上居住していなかった方であっても、水俣湾又はその周辺水域あるいは阿賀野川の魚介類を多食したとそれぞれ認めるのに相当な理由がある方とされているところでございます。
○仁比聡平君 つまり、対象地域に一定の居住歴があればメチル水銀暴露の可能性があるとみなして、ドクターに健診を受けてもらって感覚障害が認められれば救済対象になるという仕組みなんですよ。
後でもう一度見ますけれども、終わりから二枚目の資料、二十二ページに不知火海の地図があります。ここで青く塗られているところが特法の対象地域とされているところです。ここに居住歴があれば、検診を受けて感覚障害があれば特措法の救済を受けることができる。ところが、その青い地域ではないところに暮らしていると、水銀暴露の可能性を証明する資料、例えばへその緒を出せとか、あるいは、もうあるはずもない、その五十年ぐらい前に毎日魚を買っていたという、そういう領収書でも出せとか、そういう無理を言って、そして検診も受けさせないという。
だから、どんな重い症状があっても、水俣病特有の症状があっても検診も受けさせないという運用がこの特措法でされてきて、だから、原告の多くが暴露要件非該当といって未救済になってきたわけです。裁判では、そうした被害者たちが救済すべき被害者だといって認められてきているというのが今の争点なんですよ。
そこで、お尋ねしますけれども、この藤下さんが住んでいる地域というのは、最後の資料にグーグルマップで図をお届けしましたけれども、左側にある宮野河内というところなんですね。目の前は不知火海です。背中に、背後に山が迫っているので、漁村は海べたに張り付いて、みんながここに集中して暮らしているわけですよ。この藤下さんもその中にいらっしゃるわけです。
この漁村の漁場というのは、これ、水俣の湾口なんですね、大方が。目の前には島がありますけれども、そこの向こう側に出ていって、この藤下さんのお父さんたちだって魚を捕ってきた、だからそれをみんな食べてきたということなんですよね。
何でこの宮野河内は対象地域ではないんですか。何を根拠に線引きをしているんですか。
○政府参考人(中尾豊君) お答え申し上げます。
水俣病被害者特措法におきましては、先ほどお答え申し上げたとおり、対象地域に一年以上居住していなかった方でありましても、水俣湾又はその周辺水域あるいは阿賀野川の魚介類を多食したとそれぞれ認めるのに相当な理由がある方についても救済の対象とされていたところでございます。
この相当な理由の有無については、先ほど委員からも御説明ございましたように、申請者が提出する魚介類摂取等申立書等の書類の確認や、魚介類の摂取状況に係る申請者の聴取などを行いまして、一件一件審査を行った上で救済が行われたものと承知しているところでございます。
この特措法に基づく判定につきましては関係県で行われておりまして、個別に関してお答えすることは困難でございますけれども、御兄弟でありましても、提出書類や申請者の聴取に基づきまして、所属の漁協や漁法、家族歴や居住歴なども考慮の上、一件一件審査を行った上で救済が行われたものと承知してございます。
以上です。
○仁比聡平君 おかしいじゃないですか。何で宮野河内が対象地域外なのかという問いに答えられない。
この藤下さんについて言えば、先ほど申し上げたように、お父さんは漁師なんですよ。漁業が家業なんですよ。当時の食生活あるいは経済生活を考えたら、毎日三食魚ばっかり食べ続けてきたって当たり前じゃないですか。だから、お兄さんたちは救済されているじゃないですか。今おっしゃった提出されている資料だとか、それから家族の状況だとかということを本当に審査していたら、この人救済されているはずじゃないですか。何でされていないかというと、対象地域の外の被害者はそれだけで健診も受けさせずに切り捨ててきたからですよ。
これ、衆議院の質疑なんかで、当時、二〇一一年の裁判上の和解に当たって、原告、そして国始めとしたところが合意をした中身だと、対象地域についてというような説明をされているし、大臣もそうやってお聞きになっているかと思うんですけど、大臣、ここにはごまかしがあるというのは御存じですか。
当時のノーモア・ミナマタ第一次訴訟、この裁判上の和解においては、地域の中ならば感覚障害を検査して救済するという、そういう取組をする。対象地域というこの青いところの外の原告については、個別にヒアリングを行い、健診を行って、総合的に判断するということが合意されたんです。それが基本合意で、一人一人の当時の原告に対してそういう取組が行われたからこそ、先ほどの不知火海の地図で青以外のところに緑色で塗っている地域、つまり対象地域ではないんだけれどもここに多数の被害者と認められた人たちがいるという地域ですね、こういうのが生まれたわけですよ。
公害健康等補償法などの、公健法などの対象地域の外に水俣病被害者と認められる方々がたくさん出ているというのは、つまり裁判上の和解ではそういうふうに行われたからですよ。ところが、それも受けて制定されたはずの特措法では、対象地域外だったら健診も受けさせずに切り捨てる、そういう運用をやってきたのが国であり、関係県市じゃないですか。
○政府参考人(中尾豊君) お答えを申し上げます。
先ほどのお答えと重なりますけれども、水俣病特措法では、メチル水銀の暴露を受けた可能性のあるという暴露要件と、四肢末梢優位の感覚障害又はそれに準ずる感覚障害という症状の要件、この二つを満たす方が対象となるところでございました。このため、暴露要件がない方につきましては、対象とならなかったということでございます。
○仁比聡平君 だから、暴露要件がないって言っているでしょう。それは、国がいう暴露要件が、メチル水銀を多食した、その可能性があるなしというのがないというふうに決め付けているんだけど、今御紹介をしている被害者のように、そんなことあり得ないじゃないですか。そうしたら一体何を食べて育ったというのかということになるでしょう。
同じようなといいますか、もう少し、この地域がどれだけ不合理かということで、先ほど来の地図を見ていただきたいと思いますけれども、水俣市は皆さん御存じですよね。この水俣市に青いエリアがもちろんありますが、その指定地域にされていないエリアが水俣市の中にもあるんですよ。その中で被害者が確認をされたところが、久木野、古里、越小場というこの三つの字ですね。まだなお確認されていないところは白くなっている。これが今の実態把握の到達点なんですよ。
そこで、出水市を挟んで阿久根市というところがあります。この阿久根市は、ごく一部が青くなっていますが、折口、多田始めとして、その町の真ん中に、両側が対象地域で、その真ん中だけが地域外というところがありますよね。この折口で生まれ育った前田芳枝さんという被害者がいらっしゃって、百二十八人全員勝訴をした近畿原告団の団長なんですが、その方の簡単な陳述書を皆さんのお手元にお配りしています。
十ページですけれども、子供の頃、家で食べる魚は、阿久根市の黒之浜、高尾野町の江内や水俣市の袋辺りから来ていた行商人から買っていました。十歳からは、母が魚介類の行商を始め、売れ残ったものを持って帰って家で食べたり、子供ながらイワシの目刺しの加工の手伝いに行っていた会社で、小魚やイカ、カニなどをわたごとごった煮にしたのをおやつ代わりに食べさせてもらったりしていました。
こういう食生活ですよ。それは、両側に赤瀬川とか脇本とか対象地区がありますけれども、そこでも、それからそうじゃないところでも、その地域には魚を食べるというそういう生活があったのであって、だから裁判所、大阪地裁は、当然そんな線引きに合理性はないですから、被害者だと全員認めた。百二十八人の中にはそういう対象地域外の人たちがいっぱいいます。もう数え上げると切りがない。
年代についてもそうですよね。もうこれ資料を見ていただくだけにしますけれども、十七ページに熊本県が整理している資料を出していますけれども、政府は昭和四十三年の末までの居住歴が必要だと、新潟では昭和四十年末までの居住歴が要ると言ってきたけれども、実際には、昭和四十四年以降に生まれた方々のうち、二百二十一人が一時金、総合判定で七人、療養費では四十七人、つまり年代の区分けにかかわらず救済されている被害者がいるわけです。
だから、対象地域だとか年代だといって線引きをするのは極めて不合理な中で、この地域で暮らし、一定の時期に大阪や東京始めとして全国に出稼ぎに行ったり、その中で暮らしの拠点ができた方々が近畿訴訟や東京訴訟の原告ですよね。
新潟から来られた方々ももちろんありますが、そういう方々は、その次のページに本田さんという広島にお住まいの方の陳述書がありますけれども、平成二十七年になるまで自分が水俣病ではないかと思いもしなかったですよ。既に特措法は打ち切られているわけです。その方、本田さんも含めた人たちを大阪地裁は救済をしました。藤下さんは、被害者と認められたにもかかわらず、除斥期間が過ぎているというので救済の対象外だと裁判しているんですね。
長く苦しめば苦しむほど救済されないと。私、人道に反すると思いますが、大臣、いかがですか。
○国務大臣(浅尾慶一郎君) 様々な方の御紹介をいただいたわけでありますけれども、御紹介いただいた方を含め、現在もなお訴訟を行う方が多くいらっしゃるという事実は重く受け止めております。
繰り返しになりますけれども、他方、現在、高等裁判所で係争中の訴訟では、その地裁判決には国際的な科学的な知見や最高裁で確定した近似の判決の内容等と大きく相違があるとの認識の下、必要な対応を行っているところであります。
御紹介いただいた方について、例えば除斥期間を理由に救済対象とならないとの判示がなされたことについては、現在係争中の訴訟の内容に関することであり、コメントは差し控えさせていただきたいと思います。
○仁比聡平君 冷たい御答弁なんですが、資料の十四ページを最後御覧いただきたいと思います。
水俣病の被害救済に当たって、公害健康等被害補償法、公害健康被害補償法で三千人、九五年の政治解決で一万千百五十二人、裁判の和解で二千九百六十五人、そして特措法で、合わせて五万五千百二十五人、訴訟で賠償が確定した方は五十八人いらっしゃいます。一時金、療養手当の三万二千二百六十二人もそこに含まれていますが、手帳のみの二万二千八百六十三人という方を除いても、およそ五万人、四万九千四百三十七人の方々が、国や県が指定した医師が検査をしてこれだけの感覚障害が認められているわけですね。これは、水俣病あるいはメチル水銀の影響以外に説明のしようはない。そんな地域は日本中にどこにもない。
水俣病というのは、環境の中にそうやって工場の排水があって、食物連鎖でメチル水銀の中毒になったという過去に例のない病気なんですから、だから、この被害者の症状、証拠を対照群と比較をしながら丁寧に見ていくということでなければ、実像もつかめなければ、救済の対象もはっきりしないということになっている。
私は、この七万二千三百人という方々がどこで暮らして多食してこういう暴露を受けたのか、その分布状況を明らかにすべきだと。その中で、住民の健康調査を進めて、全ての被害者を救済すべきだということを強く求めたいと思います。
衆議院で同様の議論がされています。これからも様々な機会をいただいて質疑を続けたいと思います。どうぞよろしくお願いします。