○委員長(佐々木さやか君) ありがとうございました。
次に、木村参考人にお願いいたします。木村参考人。
○参考人(木村草太君) 私の専攻は憲法学です。私は、子供の権利と家庭内アビューズの被害者の権利の観点から共同親権の問題を研究しています。
現在審議中の民法改正案には非合意強制型の共同親権が含まれています。この点について意見を述べます。
共同親権の話をすると、別居親が子に会う会わないの話を始める人がいます。しかし、これから議論する親権とは、子供の医療や教育、引っ越しなどの決定権のことであり、面会交流とは別の制度です。面会交流と混同せずに話を聞いてください。
また、これまで説明されてきた離婚後共同親権のメリットは、父母が前向きに話し合える関係にある場合、つまり合意型共同親権のメリットです。非合意強制型のメリットではありません。合意型と非合意強制型は全く別の制度ですから、両者を分けて議論をしてください。
民法改正法案第八百十九条七項は、父母の一方あるいは双方が共同親権を拒否しても、裁判所が強制的に共同親権を命じ得る内容です。衆議院では、合意がある場合に限定する修正案が検討されました。しかし、衆議院多数派は非合意強制型が必要だと言って譲りませんでした。この法案には余りにも多くの問題があります。
第一に、父母の一方が共同親権に合意しない場合とは、現に父母に協力関係がなく、話合いができない関係です。こうした父母に共同親権を命じれば、子供の医療や教育の決定が停滞します。つまり、非合意強制型の共同親権は、子供から適時の決定を受ける権利を奪います。
第二に、法務省は、法案八百二十四条の二第一項によって、共同親権下でも日常行為、急迫の場合であれば父母がそれぞれ単独で親権を行使できるから適時の決定ができると説明してきました。しかし、この条文によれば、学校のプールや修学旅行、病院でのワクチン接種や手術の予約などの決定をいつでももう一方の父母がキャンセルできます。結果、いつまでも最終決定できない状態が生まれます。病院や学校は、どちらの要求を拒否しても損害賠償を請求される危険にさらされます。条文の狙いとは裏腹に、病院や学校がトラブル回避のため、日常行為についても一律に父母双方のサインを要求するようになる可能性もあるでしょう。
この問題は、日常行為、急迫の決定について優先する側を指定しない限り解決しません。ところが、この問題を指摘された法務省の回答は、こうすれば解決できるではありませんでした。驚くべきことに、その問題は婚姻中の父母について現行法の下でも生じ得ますと答えたのです。
私は、この回答を聞いたとき耳を疑いました。婚姻中にも問題が生じているなら婚姻中の問題を解決する手段をつくるべきです。離婚する人の中には、子供をめぐる決定への困難が離婚原因となっている人もいます。離婚をしてもなお同じ問題が継続するような、場合によってはより悪化するような制度をつくるのは言語道断です。
そもそも、婚姻は非合意で強制される関係ではありません。合意に基づく父母の強い信頼と協力があってこそ成立する関係です。原因は様々あれど、信頼や協力が失われた場合に離婚するのです。法務省は、婚姻中でも起こり得る問題だから離婚後にそれが継続してもいいと本気で考えているのでしょうか。
第三に、法務省は、法案八百十七条の十二第二項に父母の互いの人格尊重義務が定められているから、適時の決定を邪魔する共同親権の行使はできないと言い続けています。しかし、義務違反があったとき、誰が、どうやって、どのぐらいの時間で是正するのでしょうか。法務省は、相互尊重義務違反の場合、何時間、何日以内に是正されるのかを説明していません。その是正の際には弁護士に依頼するなど、経済的コストも大きな負担となることでしょう。子供の適時の決定を得る権利に興味がないと評価せざるを得ません。
実は、政府自身、過去に、安倍首相や山下法務大臣の国会答弁で、離婚後共同親権には子が適時適切な決定を得られなくなる危険があると指摘してきました。今回の法案の非合意強制型の共同親権には、政府自身が指摘してきた課題すらクリアできていないという問題があります。
第四に、法案八百十九条七項は、共同親権を強制した方が子供の利益になる場合とはどのような場合なのかを全く規定していません。適時適切な決定のための信頼、協力関係がある場合という文言すらありません。これでは、裁判所が法律から指針を得られるはずがありません。場合によっては、適時の決定が得られなくなるケースで共同親権を命じかねないでしょう。
法務省は、法制審議会で共同親権を強制すべき具体例が挙がったと主張しています。しかし、法制審議会で挙げられた具体例は、小粥太郎委員が示した別居親が子育てに無関心である場合と、佐野みゆき幹事が示した同居親に親権行使に支障を来すほどの精神疾患がある場合だけです。
無関心親に共同親権を持たせる小粥ケースが、なぜ子供の利益になるのでしょうか。日々子育てに奮闘しているであろう一方の親に、無関心親との調整という著しい負担を課すことになるだけです。また、親権行使に支障を来すほどの病がある佐野ケースなら、もう一方の親の単独親権とするのが適切でしょう。さらに、佐野幹事の発言の中には、今回の参議院法務委員会でも話題となった精神疾患の方への差別が表れているようにも感じます。
法制審議会の非合意強制型の共同親権の議論は極めて粗雑です。もう一度、離婚家庭の現実を適切に理解している専門家を交えて審議会をやり直すべきでしょう。
理論的に考えても、同居親に親権を奪うほどの問題がなく、かつ話合いは無理と判断して共同親権を拒否している場合に別居親との話合いを強制することは、問題のない同居親に無意味にストレスを与え、子供のために使えるはずの時間と気力を奪う結果になるはずです。
第五に、法務省は、DV、虐待ケースは除外する条文になっていると言い続けています。しかし、法案八百十九条七項の条文は、将来のDV、虐待のおそれがある場合を除外するだけです。過去にDV、虐待があったことが明白で、被害者がその事実に恐怖を感じ、あるいは許せないという気持ちで共同親権に合意しない場合でも、もう止まった、反省していると認定されれば共同親権になり得る内容です。
実際、同じような内容を持つアメリカのニューヨーク州には、父が十五歳だった母に不同意性交の罪を働いた事案で、母側が拒否しているのに、もう反省しているという理由で共同親権を命じた例があります。
今回の法案の条文でも、夫婦間の殺人未遂や子供への性虐待があり、それを理由に共同親権を拒否している場合ですら、裁判所が反省や加害行為の停止を認めれば共同親権を命じ得る内容です。そうしたくないなら、はっきりと、過去にDV、虐待があった場合は被害者の同意がない限り絶対に共同親権にしてはいけないと書くべきでしょう。
相手の反省を受け入れるかどうかを判断できるのは被害者だけです。その人が話合いや共同行為の相手として安心できるかを判断できるのも、その人だけです。しかし、今回の法案では、被害者が自分の意思で共同親権を拒否できないのです。だから、被害者たちは恐怖を感じているのです。
DV、虐待をめぐっては、家庭内のことで証拠の確保が困難であること、当人が多大な苦痛を感じていても第三者の理解を得られにくいことなどから、DV、虐待の認定そのものが困難であるという深刻な問題もあります。今回の法案は、DV、虐待を軽視し、被害者を置き去りにするものです。
以上が、非合意強制型の共同親権を廃案にすべき理由です。
そのほかにも、今回の法案には、DVや虐待を主張すること自体が相互の人格尊重義務違反として扱われる危険、被害者やその代理人、支援者への嫌がらせや濫訴への対策がないこと、家裁のリソース不足に対する具体的改善策の不在など、たくさんの問題があります。
今回の民法改正法案には、子供たち自身を含む家庭内アビューズの被害者から、この条文では安心できない、再び加害者との関係を強制されるという不安と恐怖の声が上がり続けてきました。被害者の方を安心させるのは簡単です。合意型の共同親権に限定すればよいのです。共同親権のメリットとされてきたものも、それで実現できます。
しかし、被害者の声は切り捨てられ続けてきました。法制審議会では、DV保護法を専門とする戒能民江委員が、この要綱では被害者を守れないという理由で反対しました。しかし、DV保護を専門としていない委員の多数決で要綱は押し切られました。
衆議院では、DV被害の当事者が、この法案が可決されれば再び加害者と対峙しなければならず、場合によっては共同親権を強制されるという恐怖を涙声で訴えました。衆議院はこの方が安心を得られるよう努力したでしょうか。そうは思えません。
なぜ、恐怖を訴える声が届かないのでしょうか。法務省や衆議院多数派は、DV被害の訴えを極端な被害妄想と見て、その主張をまた始まったと嘲笑しているように見えます。
そもそも、法務省は、父母が共に関わるべきだ、どんな親でも子の利益のために行動できると強調し続けてきました。父母の関わりは良いものと留保なく断言する裏側には、シングルの子育てはまともではないという蔑みの感情すら見て取れます。
被害者の訴えを退け続ける態度もシングル家庭への差別に由来しているのではないでしょうか。シングルでも一生懸命、子供を幸せにしようと努力している親たちがいます。加害的な親と離れて、やっと安心できる生活を手に入れた離婚家庭の子供たちもいます。シングル家庭への差別をやめ、彼ら、彼女らの声に耳を傾けるべきです。
声を切り捨てられているのは日本の被害者だけではありません。
イギリスのブリストル大学のヘスター教授も次のように指摘します。離婚後の親子コンタクトを推奨する専門家たちは、DVを解決済みの問題、既に過去のものと見て、DV被害をまるで違う惑星のもののように扱っていると。
アメリカのジョージ・ワシントン大学のマイヤー教授は、アメリカの裁判所で、子供が別居親との関わりを拒否する場合、別居親の加害行為ではなく同居親の悪口を疑うべきだという理論が蔓延しているという統計研究を発表しています。マイヤー教授は、アメリカ家族法学でDV、虐待が周縁部に追いやられている、アビューズの問題を中心に置かなくてはならないとも指摘しています。
ドイツやフランスでは、DV、虐待があっても、特別な手続を取って裁判所が認めない限り共同親権です。ヨーロッパのDVの専門家や支援者からは、DV事案を除去できるような法改正の必要が指摘され続けていますが、立法は対応しません。
オーストラリアでは、薬物依存の父親から逃れようと子連れで転居した母親が無断転居を責められ、共同親権を命じられた事案があります。オーストラリアの家族法の専門家の間では、性虐待の過去を持つ親と子供とのコンタクトをどうやって実現すべきかが検討すべき論点として扱われていました。オーストラリア法にも、被害者の声を軽視してきたという批判があります。
欧米では共同親権が主流というスローガンばかりが独り歩きしていますが、どの国でもDV被害者の声はかき消され、あるいは虐待の被害者の声はかき消され、その支援者は嘲笑されているのです。日本の家族法の教科書でも、DV、虐待の問題が中心に置かれているとは到底言えません。日本の民法学、家族法学が、どこまで欧米の、そして日本の被害者たちの声に向き合ってきたでしょうか。
このように検討してみると、なぜ日本の現行法はそんなにまともなのかという疑問が浮かぶのではないでしょうか。その答えは、憲法二十四条と、それによる戦後家族法の大改正にあります。
日本の法律家の中には、欧米に比べ日本の法律は遅れていると考える人が多くいます。例えば、同性婚の問題に関わっている人は、日本の取組は余りに遅いと感じているでしょう。そうした分野があるのは事実です。
しかし、男女平等の親権法の実現はヨーロッパのよりも長い歴史を持っています。フランスやドイツでは、父権に基づく男性優位の制度が二十世紀後半まで続きました。これに対し、日本は、新憲法を制定した一九四〇年代に、憲法二十四条の男女平等の理念に基づく親権法を実現しました。婚姻中の共同親権を導入し、離婚後は女性であっても子供の親権を持てるようにしたのです。
日本の新しい憲法、民法が重視したのは、共同行為は合意がない限り強制できないという当事者の意思を尊重する姿勢です。民法の旧規定の下では、戸主の同意がないと婚姻ができず、父母や夫になる男性が女性に婚姻を強要することもありました。新憲法はこれを反省し、両者の合意のみで婚姻の成立を認め、また、婚姻の効果を合意なしに強制することを禁じました。
憲法二十四条は、合意なしに強制してはいけない婚姻の効果があることを前提としています。合意なしに強制してはいけない婚姻の効果の範囲をどう理解すべきか。その中に、子供の医療や教育についての話合いの義務付けが入っていないのか。政府は真面目に検討すべきです。
この点、政府は、同性婚訴訟の書面で、憲法二十四条に言う婚姻とは共同で子育てをする関係なのだと言い続けています。子供の共同親権を婚姻の中核的効果と考えていることは明らかです。これを前提にすると、合意もなしに共同の子育てを強制することは憲法二十四条の理念に反しています。
戦後の民法改正をリードした我妻栄先生は、父母が離婚するときは子を監護すべき温床が破れると言っています。父母が共につくる温床は、父母の真摯な合意によってのみつくられるのです。
我妻先生は、ある最高裁判決について、夫婦の力関係の差が現にあることを強調した上で、夫婦を形式的に平等に扱えば、その争いはとかく力の強い夫の勝利となり、夫婦の平等は実現されないと批判しました。もちろん、夫は常に強く、妻が常に弱いということはなく、逆のケースもあるでしょう。しかし、協力関係が築けない背景に、力関係の大きな格差があることは少なくありません。そして、その格差は、当事者の一緒にいることのつらさとしてしか表現できないこともしばしばあるのです。
我妻先生は、形式論や理想論だけでなく、それがどんな現実をもたらすのかを含めて、豊かな想像力を持って家族法を考えました。先人は、子供の利益と男女の実質的平等への深い洞察の上で現在の民法を作り上げました。私たちがなすべきは、憲法の当事者の合意の尊重の理念と、戦後民法を作り上げた先人の遺産を受け継ぐことです。大事な遺産を台なしにすることではありません。
参議院議員の皆様は、被害者の声を無視して、差別し嘲笑する側に付くのか、子供が適時に決定を得られる権利と被害者が安心できる環境を得られる権利を守る側に付くのか、重大な岐路に立っています。是非このことを自覚して法案の審議に臨んでください。
終わります。
○委員長(佐々木さやか君) ありがとうございました。
次に、山崎参考人にお願いいたします。山崎参考人。
○参考人(山崎菊乃君) 山崎菊乃です。
本日は、私のお話を聞いていただける機会をいただき、本当にありがとうございます。
私は、DV防止法が施行される前の一九九七年に、三人の子供とともにシェルターに避難した経験があります。その後、二十年以上、DV被害者支援現場でシェルター活動や自立支援活動を行っております。現在、全国女性シェルターネットの共同代表であり、ふだんは北海道でシェルターの運営をしています。
まず、私の被害者としての体験談をお話しさせていただきます。
大学時代に知り合い、対等に付き合っていたはずの夫は、結婚式の日から変わり始めました。私の行動が自分の思いどおりでないと機嫌が悪くなるようになったのです。私の実家に対しては非常に攻撃的になりました。私の両親が遊びに来ると不機嫌になりました。初めてのお産は里帰り出産でした。自宅に帰るとき、実家の母がお米を十キロ私に持たせてくれました。これに対し、夫は、俺をばかにしていると実家に米を送り返した上、新生児のそばで寝ている私の顔を殴りました。掛け布団が鼻血で真っ赤になりました。翌日、私は夫に、暴力を振るうのであれば離婚すると言いました。すると、彼は、土下座をして涙を流し、離婚するくらいなら死んだ方がいいなどと言うので、私は、これほど反省しているならと離婚を思いとどまりました。
しかし、一度暴力を振るわれてしまうと夫婦の関係が全く変わるのです。夫の顔色を見て、怒らせないようにと振る舞う癖が私に付いてしまいました。彼が暴力を振るうのは自分のせいと感じ、努力しましたが、何をしても収まることはありませんでした。人格を否定され、人間扱いされないような言動が絶えずある生活は身体的暴力よりつらく、私はいつも落ち込んでいました。子供たちもいつもぴりぴりしていました。
多くの人はDV被害者になぜ逃げないのと言いますが、これまで生活してきた全てを捨てて、将来的な保証も住む場所もない未知の世界に人は簡単には飛び込んでいけません。
ところが、ある日、どなり、馬乗りになって私の首を絞める夫に向かって、長女が泣き叫びながら、父さんやめてと包丁を持って向かっていったのです。子供たちのためにと思っていた私の我慢が子供たちを大きく傷つけていたことを思い知らされ、避難するしかないと決断し、DV防止法がまだない中、民間団体が運営しているシェルターに避難しました。
先日、私は勇気を出して、当時中学三年生だった娘に包丁を持ち出したことを覚えているか聞きました。娘は、はっきり覚えている、いつもカッターを持っていて、何かあったらお母さんを助けようと思っていた、朝は泣きながら登校していたと話してくれました。何十年もたっていたんですが、ショックでした。
お手元の資料一、二〇二二年にシングルマザーサポート団体全国協議会が行ったアンケート調査の結果、一ページを御覧ください。離婚を決断した理由で一番多いのが、子供に良くない影響があったというものです。次のページ、その子供への悪影響とは何か。具体的な内容では、夫婦が対立、口論したり、自分がばかにされている様子をこれ以上子供に見せたくないが最多です。司法統計で性格の不一致とされてきた中身がこれらです。
大きな決断をして避難した先に一体何があるのか。シングルマザーの平均年収は二百万円ぐらいと言われています。ダブルワーク、トリプルワークをして、自分の健康を顧みずに働いているお母さんがたくさんいます。子供に一日三食食べさせても、自分は二食で我慢している人もたくさんいます。私も、三人の子供を抱えて生活に困窮し、生活保護を受給しました。このような大変な生活を強いられるのに逃げざるを得ないことを、どうか皆様に御理解していただきたいと思います。
日本社会のDV被害に対する認識はまだまだ薄く、暴力から逃れることも難しく、相談機関からさえ理解のない対応を受け続けています。この状況を改善することなく共同親権にすることは、逃げることしか許されない日本の被害者が更に逃げられなくなることが目に見えています。
配付資料二、ここがおかしい日本の被害者支援を見ていただくと現状が分かっていただけると思いますが、DV被害者が相談や支援を求めたときにどんな対応があるのかを時系列的に挙げてみたいと思います。
まず、一番初めの相談は、実家や友達が多いのですが、そのくらい我慢しなさい、子供がいるんだから離婚なんかしちゃ駄目といった反応は全く珍しくありません。身近な人から否定されたことで、逃げられない、DV被害を受けた自覚が持てない状況になっているわけです。
そして次、勇気を出して相談機関に行くと、あざがないから、殴られていないからDVじゃないですよね、身体的暴力に比べると大したことないよねと言われるのは本当にあるあるです。日本のDV法では、DVを身体的暴力だけではないとしています。しかし、日本中で、身体的暴力以外はDVじゃないとする運用が残念ながら行われてきました。
相談の次は一時保護になります。シェルターに避難することです。
全国の都道府県に公営のシェルターがあり、DV被害者を保護することになっていますが、資料の三を見ていただくと、婦人相談所、今は女性相談支援センターとなっていますけれども、なかなか一時保護してくれないというのが全国共通の悩みです。身体的暴力がないからシェルターは入れない、集団生活ができなければ無理、たばこ、お酒、携帯使用は駄目、こうしたチェックに合格して初めてシェルターに入れます。DV被害者一時保護は十分に機能しているものではないということも知っていただきたいと思います。
その次のハードルは生活保護受給です。着のみ着のままで避難した方も多く、生活保護を希望することは少なくないです。しかし、同居中に受けた精神的DVの後遺症であるPTSDなどが理解されず就労を強要される、扶養照会で加害者である配偶者に照会されてしまった例もあります。
そのような中、心ある行政担当者と民間の支援者とで力を合わせてやっとの思いで被害者の安全を守ってきました。民間の支援者は、手弁当で、持ち出しで、全国で何千、何万件と支援してきました。DV被害については私たちが専門家です。共同親権が導入されたら何が起こるのか知っているのは当事者と私たちです。
共同親権が導入されたら何が起こるのか、懸念をしていることをお話しします。
二〇〇一年にDV防止法ができるまでは、家庭の中の暴力は社会に容認されていました。DV防止法は、私たち当事者がこのままでは殺されてしまうと議員の皆様に実情を訴え、議員立法で制定された法律です。共同親権制度は、私たちDV被害者が命懸けで勝ち取ったDV防止法を無力化するものです。この法律が成立してしまったら現場はどうなるのでしょうか。
まず、たくさんある事例なんですけれども、加害者の行動の予測についてお話しします。
加害者の中には、加害者意識は全くなく、自分を被害者だと心から思っていて、自分の下から逃げ出したパートナーに対する報復感情を強く抱く人が多いことを皆さんに知っていただきたいです。彼らはこう考えます。自分は何も悪いことをしていないのに、妻が子供を連れて出ていってしまった。自分に逆らわなかった妻がなぜ出ていったのか本当に理解できない。支援者や弁護士が唆したのではないか。自分こそ妻からの精神的暴力を受けた被害者だ。これではメンツが立たない。絶対に妻の思いどおりにはさせない。自分をこんな目に遭わせた妻に報復してやる。たとえ離婚しても、共同親権を取って妻の思いどおりにならないことを思い知らせてやると考える人も多くいると思います。この法案は加害者に加勢する法律です。
次に、現場の最大な懸念をお話しします。
被害者を支援したら、加害者からの大量の訴訟が起こされ、敗訴するかもしれません。急迫な事情という条文は、婚姻中の共同親権にも適用される規定だからです。被害者の相談に乗って、それはDVですね、避難する必要がありますと言ったら、加害者の共同親権行為の侵害だという損害賠償の訴訟が相談員や支援団体をターゲットに起こされるかもしれない。被害者の一時保護を都道府県が決定したら、同様の訴訟が都道府県、市町村に起こされるかもしれない。訴訟対応で支援機関はストップするだろうし、訴訟というリスクを負ってまで行政は被害者を支援してくれるでしょうか。賠償金の支払を命じる判決が出たら、地方自治体はそれでも被害者を守り続けるでしょうか。発言力の小さい被害者が我慢を強いられるのは目に見えています。
法案では、双方の合意で親権が決まらない場合、裁判所が親権者を決める際に、DVや虐待がある場合は単独親権と決めるとありますが、DVや虐待の証明をどのようにしたらよいのでしょうか。
今年四月一日に改正DV防止法が施行され、精神的暴力、性的暴力も接近禁止命令の対象となりました。内閣府のパンフレットでは次のようなことをDVですと広報しています。資料四になります。
大声でどなる、誰のおかげで生活できるんだなどと言う、実家や友人との付き合いを制限したり、電話や手紙を細かくチェックしたりする、何を言っても無視して口を利かない、大切にしているものを壊したり捨てたりする、土下座を強要する、悪評をネットに流して攻撃すると告げる、キャッシュカードや通帳を取り上げると告げるということが挙げられています。こういうことが本当によく相談されます。精神的、性的DVは、DV関係では必ず起きています。
内閣府が精神的DVと見ているものを被害者が主張しただけで単独親権になるのでしょうか。相手が争ってきたら、どのような証拠で立証しなければならないのでしょうか。例えば、長時間の説教、通帳取上げということを家裁がどのように認定するというのでしょうか。
以上、当事者支援現場からの様々な懸念をお話しさせていただきました。これから考えられるのは、もしもこの法案が成立したとしても、施行までの二年間で必要な制度が整うとはとても考えられません。国会におかれましては、拙速な判断をしないように切にお願いしたいと思います。
最後に、被害当事者からのメールを御紹介します。
衆議院通過してしまいましたね。何でそんなに共同親権にしたいんでしょう。既に離婚している父母も申請すれば共同親権にできるとの一文を見ました。きっと私の元夫は申請してくるでしょう。政治家はようやく立ち直りかけた私たちにまた闘えと言うのですね。平穏を手に入れたと思っていたたくさんの被害者たちをまた崖から突き落とすのですね。私のように、身体的暴力の証拠は残っていなく、既に何年も経過している者は、どうすれば被害者だと認めてくれるんですかね。非常に落胆しています。
私と娘と息子は、元夫と一緒にいる間は常にびくびくと機嫌をうかがいながら生活し、逃げてからは、これまでの生活のほぼ全てを捨て生きていかなければならない現実を受け入れることに必死で、心身のバランスを崩しました。長い時間を掛けて、それでもまだ全員が回復したとは言えないまでも、日々笑って過ごせるようになった一因に、私が親権を持っているからがあるのは間違いありません。
どうか本当に子供が幸せになる道を見極めてください。子供が心から愛され、守られて、穏やかに安心して暮らすために法律を使ってください。ほかの国がどうかとは関係ありません。解決しなければならない日本の家族の問題は決してそこではないことに本当は皆さん気付いているのではないでしょうか。問題のすり替えで命を脅かさないでください。
以上が、うちに来た被害者からのメールです。
これで終わらせていただきます。ありがとうございました。

 

○仁比聡平君 日本共産党の仁比聡平でございます。
皆さん、本当にありがとうございます。
まず、子連れ別居の適法性について実情を山崎参考人にお尋ねしたいなと思うんですが、二〇二一年の女性プラザ祭の講演録を読ませていただきました。別居する、子供を連れて別居するというのはなかなか決断できないことだということが御本人のお言葉で、まるで夜の海に飛び込むような感じという表現もされているんですが、山崎参考人御自身のこと、あるいはシェルターでの活動を通じて、この決断、なかなか決断できるものじゃないという、そうした状況、実情を教えていただきたいと思うんですが、いかがでしょうか。
○参考人(山崎菊乃君) ありがとうございます。
まさにそうで、今まで普通に生活をしていて、PTAもやり、学校も行かせということをやっていたんだけれども、もういよいよ夫からの暴力で耐えられなくなって出ざるを得ない。だけれども、逡巡するんですよね。修学旅行終わってからとか、あとこの行事終わってからとか、もうちょっと私が我慢すれば何とかなるんじゃないかというふうにずっと逡巡しているんだけれども、何かが起こって、私のときは娘が包丁を持ち出したという事件がきっかけだったんですけれども、それでもう出ざるを得なくなった。
だけれども、出ると決めても、これから生活どうするんだろうか、経済的にやっていけるんだろうか、片親にしちゃっていいんだろうかと思いました、私は本当に。私一人でやっていけるんだろうかと、ずっともういろんなありとあらゆる、どこに住めばいいんだろう、住んだところで見付かっちゃうんじゃないだろうかと、もういろいろいろいろな逡巡があって、それでもやっぱり逃げざるを得ないというふうな、それで皆さん、お子さんを連れてシェルターに逃げてくる。
だけれども、シェルターに入っても、まだ、私が悪かったんじゃないかと、もう一回戻って一緒にやった方がいいんじゃないかとか、そういうお母さんたちがすごくたくさんいらっしゃいます。そのぐらい逡巡して、皆さん迷って、中には夫のところに帰っちゃう人もいます。
○仁比聡平君 そうした実情をこれまで裁判所はちゃんと分かってくれてきたでしょうか。
○参考人(山崎菊乃君) 裁判所では調停の席でいろいろお話をするんですけれども、調停委員の方は結構いろいろお話を聞いてくれて、分かっていただけるということはありますけれども、うちのシェルターに来た場合には、必ず弁護士さん付けますので、弁護士さんがきちんとお話をしてくれるというのはありますが、自分一人で調停を申し立てて、それでやったという方はなかなか、それ本当なのみたいな扱いをされて信じてもらえなかったというケースは非常にたくさん聞いています。なかなか当事者一人では難しいと思います。
○仁比聡平君 木村参考人に、その問題で、「世界」の論文を拝見をいたしまして、こうした子連れ別居に対して、違法な実子誘拐だ、あるいは不当な連れ去りであるというような裁判上の申立てがされた場合に、裁判所はどのような審査をすべきなのか。そして、今、今日、どんな基準が裁判所にあるのか。そして、かつ、この今回の法案によって、そうしたこれまでの取組、積み重ねというのは変わるものと考えますか。
○参考人(木村草太君) まず、現在の裁判所では、主たる監護者による別居かどうかということが重視されるとされておりまして、婚姻中から主たる監護者で面倒を見てきたという人が子連れ別居をした場合には特に違法性は問わない。一方、主たる監護者でない人であるとか、あるいは主たる監護者が子連れ別居を選択したのに、それを連れ戻すような行為については誘拐罪等が適用されるケースがあるというのが教科書的な説明かと思います。
やはりDVというのは逃げる瞬間というのが一番危険だという指摘もありますので、この逃げる瞬間にどれだけ逃げやすい状態をつくっておくかというのが法律上非常に重要だというふうに思いますし、日本の現行法はやはり主たる監護者の子連れ別居については刑罰等は使わないということですから、この点は非常に諸外国に比べると逃げやすいのではないかと思います。
諸外国ですと、こうしたことも誘拐罪で取り締まるということをする結果、逃げにくくなるというケースもありますし、日本のDV対策、先ほどから遅れているということばかりが指摘されるのですけれども、ただ一方で、このDV殺人で女性が殺される率というのは日本は非常に低いんですよね。フランスにしてもアメリカにしても、日本よりもはるかに高い数値が出ておりますので、いろんな原因があると思いますけれども、その一端は現在の家裁実務があるというふうに思います、家裁実務じゃなくて、誘拐罪の適用があるというふうに思います。
その上で、今回の法律ですが、今回の法律では、要するに、急迫の事情がない限りは子連れ別居ができないという条文にすることによって、子連れ別居がしにくくなるのではないかということを皆さん指摘されています。
法務省は、家裁に相談する暇がなければ急迫ですということをずっと言い続けていますけれども、裁判所は、法務省の答弁ですとかここでの議論というのは基本的には見ずに、条文だけを見ますので、指摘されている危険は決して大げさではないというふうに思っています。
○仁比聡平君 先生の論文で、ちょっと引用しますと、「裁判所は、離婚までの監護者・離婚後の親権者を指定する際に、監護の継続性・監護態勢・監護環境・監護能力・監護開始の違法性・子の意思などを総合的に考慮して判断する。ここでは、同居中に子を監護してきた実績(主たる監護者がどちらだったか)も重視される。」とされていますが、今の家裁の実務とおっしゃったのは、こうしたことでしょうか。
○参考人(木村草太君) 御指摘のとおりです。
○仁比聡平君 そこで、沖野参考人にこの点についてお尋ねしたいと思うんですけれども、民法の、あるいは家族法の議論の中で、裁判所の実務というのが、今、木村参考人に御紹介いただいたように、私は積み重なってきているんじゃないかと思っているんですけれども、これが今回の法案で変わってしまうのかと。いかがでしょうか。
○参考人(沖野眞已君) ありがとうございます。
家裁の実務そのもの、これまでに積み重ねてこられた判断を大きく変更するということではむしろないというふうに考えております。事情を総合判断して、子の利益の観点から考慮するということは強く打ち出されておりますので、その中にはこれまでの経緯というのは十分に考慮されるということは、むしろ明文をもって明らかにされていると考えております。
○仁比聡平君 ということは、むしろ子の利益のためにということが強調される法改正であることによって、一層真に子の利益になるために積み重ねが続くはずであるという、そういう趣旨でしょうか。
○参考人(沖野眞已君) そのように理解しております。
○仁比聡平君 もう一点、山崎参考人に、リーガルハラスメントと呼ばれる不安や危険への実情や恐怖について、先ほど冒頭の陳述の中でもお話しいただいたんですけれども、改めて、この法案が成立した場合の申立て権の濫用や、あるいは親権の共同行使に当たっての拒否権的な別居親からの関わりと、こういうことに対して、リーガルハラスメントに対する恐怖というのはどのように感じていらっしゃいますか。
○参考人(山崎菊乃君) これ、皆さんが感じていらっしゃることで、本当にやる人って徹底的にリーガルハラスメントするんですよね。
私が経験したのは、私のところに逃げてきた方のパートナーが、その逃げてきた方を保護した警察官を公安委員会に訴え、代理人になった弁護士を懲戒請求し、私に対しては刑事告訴をし、行政に対しても違法行為だということで訴えた、ありとあらゆる手を使ってやってきたケースがあるんですよね。
逃げてきて、共同親権になってどうなるかというと、学校で自分の拒否権が尊重されなかったとか、自分の思いがこういかなかったといったら学校を訴えるだろうし、そういう人って本当にびっくりするぐらい訴えてくるんですよ。学校も訴えるだろうし、いろんなところに対して訴訟を起こすというのは、もう本当に目に見えているなと思います。やる人はやります。
○仁比聡平君 今の点について、つまり濫用という問題についてなんですけれども、沖野参考人にお尋ねしたいと思うんですけれども、先ほどの質疑で、濫用については早期適切に却下することが想定されているという御発言だったと思うんですが、どんな場合に、どのような手続においてといいますか、却下することが想定されているというお考えでしょうか。
○参考人(沖野眞已君) ありがとうございます。
リーガルハラスメントの問題というのは非常に深刻であるということがヒアリングの中でも明らかになっております。その対策というのは非常に重要な課題でございますけれども、他方で、法的な救済を受けられる、あるいはまさに司法サービスを受けられるということも非常に重要なものでございますので、この間の調整をどう図るかという点が大事になってまいります。
そして、濫用であるというのは、例えば親権の変更ということに、親権者の変更になりますと、それを基礎付ける事実が必要ですけれども、そういった事実が想定されないのにもう繰り返し繰り返し短期間で申立てをするというようなものというのは、基本的には濫用という推測が立つのではないかと考えております。
○仁比聡平君 蒸し返しは許されないというような趣旨でしょうか。
○参考人(沖野眞已君) 蒸し返しというのが、事実の変更も全くないのに、それが客観的にも明らかであるような場合に申立てをするということであれば、それは許されないわけですけれども、しかしながら、一度決めれば全て終わりではないということもまた確かであると考えられます。
○仁比聡平君 今の点で木村参考人にお尋ねしたいと思うんですけれども、先ほどの意見陳述の中で、被害者やその代理人、支援者への嫌がらせや濫訴への対策がないということを具体的にはお語りにはならなかったんですけれども、指摘がありました。どんなふうにお考えでしょうか。
○参考人(木村草太君) まず、合意に限定、合意がある場合に限定するというのが一番の対策です。
濫訴については、訴訟や申立ての提起自体が違法であると認定される基準は極めてハードルが高いので、これは濫訴自体が不法行為であるというふうにされることはほとんどないだろうと考えていいと思います。ですので、濫訴の不当訴訟の枠組みで、訴訟の提起自体が不法行為になるというようなことが抑止力になるというのはほぼ現実的な想定ではないというふうに思われますし、また、共同親権になった場合に様々なやり方で口を出すということができるわけです。
例えば、ニューヨーク州で裁判になった事案では、父母が、両方が親権を持っているので、両方が合意しないと旅行が行けない。このために子供のサマーキャンプに行く合意ができなくて、キャンプの機会が失われたケースなどが報告されています。
あるいは、日本でも、非親権者の別居親である父親が、娘に標準服、制服ですね、の着用を義務付けるのは違法だとして中学校を訴えた事案が現行法でもございます。現行法では、親権者ではなかったということでこの訴訟は棄却されているんですけれども、このような訴訟が共同親権ということになれば法的根拠を持って主張され得るということになりますので、濫訴というのは、親権者変更だけではなくて、共同親権になった場合にその親権の行使についても今言ったようなケースが起きるということであります。
そのほか、医療系の学会も、このままでは病院が非常に意思決定が困難になるのではないかという要望書を提出している、法務大臣に提出したという報道もあります。
○仁比聡平君 そういう状況の下で、本参議院の法務委員会に求められている役割、審議のありようというのはどのようなものだと思われますか。
○参考人(木村草太君) まず、合意がある場合に限定して本当にいけないのかどうかということを是非真剣に検討していただきたいと思います。また、どうしても非合意強制型が必要だというのであれば、非合意でも強制すべき場合の要件について明確に規定をしていただきたいと思います。
DV、虐待のおそれがある場合は除外するのはそれはもう当然のことでして、何ら要件を設定したことにはなりませんし、また、DV認定についても、おそれというのは、先ほど指摘したように、おそれがある場合を除外するという形ですと、過去にDVがあっても共同親権になり得るわけです。
アメリカの文献でもいろんなことが紹介されておりまして、例えばノースダコタ州最高裁は、重傷をもたらさなかった訴訟、重傷のなかったようなDVは、しかも、それは三年以上前であるから余りにも遠過ぎるとか、あるいは顔面を殴ったという過去があったとしても、それはもう随分前のことであるからということで共同親権にするというようなケースがアメリカの裁判例で報告をされております。
そうすると、やっぱりおそれがある場合を除外するというのは余りにも狭過ぎて、過去にDVがあった場合ですら除外できない、今そういう危険な条文を扱っているという自覚を持っていただきたいと思います。
○仁比聡平君 最後に、熊谷参考人に、一問になると思うんですが、先ほど御紹介いただいた令和二年十二月の検討会議の取りまとめ、拝見いたしまして、立替払ですね、養育費の、この制度などについて、選択肢や課題等を整理しつつ引き続き検討を続けていくべきであると提言をしておられますよね。
ですが、私、その後、法務省がそのような検討に応えている、求めに応えているのかというと、そうじゃないというふうに思うんですけれども、子の養育費の確保のための今の状況ということについてはどうお考えでしょうか。
○参考人(熊谷信太郎君) 検討会議については法務大臣に提出を、取りまとめを提出をさせていただきました。その後、この今回の法案の中にはこの立替払に関する規定は含まれておりませんが、法務省においてこれについては検討しているものというふうに承知をしております。具体的な報告はございません。
○仁比聡平君 具体的な報告はない。
終わります。

 

○委員長(佐々木さやか君) ありがとうございました。
次に、熊上参考人にお願いいたします。熊上参考人。
○参考人(熊上崇君) 和光大学の熊上と申します。
一九九四年から二〇一三年まで十九年間、家庭裁判所調査官として、北海道、東北、関東の五か所の家庭裁判所で勤務し、少年事件、家事事件、従事してまいりました。大庁でも支部でも勤務しておりました。困難な状況にある子供たちのために仕事をしてきたつもりではございます。二〇一三年から大学研究者をしております。
本法案での共同親権は、子の転居、教育や医療について、双方の合意がないと子供は希望する進学や医療を受けることができない、父母の合意が必要ということは、一方の共同親権者が拒否すれば、急迫の場合以外は子供が進学や医療を受けることができず、言わば一方に拒否権を与えるものであり、子供にとって不利益なものではないでしょうか。
そもそも、合意のないケースで共同親権を家庭裁判所決定にすることが子の利益になるのかという説明は政府からなされていないことも重大な問題です。また、本法案について、離婚後もパパもママも関与できることが子の利益と政府は説明していますが、現行法の民法七百六十六条でも別居親の子供への関与は可能であります。子の監護に関しては父母の協議で定め、協議ができなければ家庭裁判所が決定するということができるということになっております。
そもそも、本法案の共同親権は子の利益となるのでしょうか。まずは子供たちの声を聞くべきです。子供自身の意見や意思を抜きにした子の利益は成り立ちません。子供たちのことを子供抜きで決めるべきではありません。ナッシング・アバウト・アス・ウイズアウト・アス、私たちのことを私たち抜きで決めないで。この言葉は国連障害者権利条約の障害者の人々のスローガンでしたが、同じことが子供に関する法制度にも言えます。そもそも、離婚家庭の子供たちは共同親権を望んでいるのでしょうか。
配付資料一ですが、これは、二〇二四年三月二十九日、国会議員会館内で院内集会における子供たちの声です。子供たちの声、幾つか紹介します。
十六歳。これ、僕たちにデメリットしかないのでは。何かにつけて両親の許可が必要って、面倒なだけ。何か提出するのに期限に間に合わなかったら国は責任取れますか。今は一人の親権者のサインでいいのに、共同親権になったら面倒だし、誰も得しないじゃないですか。
九歳。共同親権に反対です。お父さんとお母さんが離婚前の別居中に僕の手術が必要になったとき、お父さんが嫌がらせでサインしてくれなかったと聞きました。病院にお願いしても、両親のサインがないと駄目だと言われて、数か月手術が延びたそうです。
十六歳。離婚時に、兄の私立高校をやめさせろと父から児童相談所に要請がありました。理由は養育費が掛かるからだそうです。共同親権になったら、今の高校も続けて通うことができるか分かりません。どうか助けてください。
子供たちの声として、私の知る限りでは、進学や医療、転居で双方の合意が必要な共同親権を望むという声はありませんでした。離婚家庭の子供たちは、進学などで双方の許可が要るという共同親権は望んでいないのではないでしょうか。本法案に子供の意見表明権や意思の尊重が含まれていないことも問題です。
資料二の英国、イギリス司法省、二〇二〇年文献レビューでは、子供の声を聞くことは子供の権利であり、子供にとって本質的な価値と利益であり、法的な評価システムに子供が参加することで子供の自尊心が高まり、子供がエンパワーメントされ、子供が自分をコントロールできる感覚を持つことができ、逆境への対処力が高まると、子供への参加を認めることは子供の重荷とは対立しない、子供は決定権ではなく意見を尊重されることを求めていると記されています。
配付資料三です。
私、熊上は、面会交流をしていた子供、十五歳から二十九歳、二百九十九人、していなかった子供二百五十人への調査をしました。子供たちは、面会交流の有無にかかわらず、子供の意思が尊重されないと、つらさ、苦しさ、怒り、憎しみなど心理的負荷が多く回答され、書きたくない、思い出したくないという拒否的な記述も多く見られています。子の意思の尊重は必須なのです。なぜなら、子供たちのことを決める法案だからです。
次に、本法案では、家庭裁判所が単独親権とする条件として、DVやそのおそれを、双方話合いが困難であるときとしています。家庭裁判所がDVやそのおそれを判断できるのかという問題があります。残念ながら、家庭裁判所はDVを完全には認定、除外することはできていません。
資料四です。
法制審第二十回に提出された、最高裁判所宛て、家庭裁判所の手続を利用した人への調査結果です。これは家庭裁判所の手続を利用した千百四十七人の調査結果です。その一部を紹介します。
家裁の調査官によく話を聞いてもらったという声もある一方で、家庭裁判所の調停において、元配偶者はDVをしていないと言っているから、していないんでしょう、それはDVは二、三回だったんでしょう、年に四回ほどの暴力は大したことではない、暴力は一回だからやり直してみたらと言われたり、面会交流との関係では、DVは子供にはなかったから、養育費払ってほしければ面会交流しなさい、子供は両親が好きなものと言われたという経験が記されています。
こうしたケースで、面会交流が家庭裁判所でDVが完全に除外せずに実施され、結果的に子供が体調を崩したり、おねしょや自傷行為、夜驚などをするケースもあります。私の知るケースでは、自分の存在に自信がなくなり、他人を信頼できず、他人と接するのがもう怖くなったという子供もいました。このように、DVが除外できず、家庭裁判所が決定すれば子供の心身に深刻な負の影響を及ぼすのです。
次に、DVが家庭裁判所で除外されず、四歳の子供が命を落とした家庭裁判所伊丹支部のケース、配付資料五、六の新聞記事です。
面会交流は、DVや子供の虐待ケースについては面会交流しない、除外することになっていますが、このケースでは、同居親、母親は、物や家具を投げられたり、部屋の壁に穴が空けられたり、夜中にたたき起こされ、おまえが悪いからやと言われていました。こうした状況の写真を家庭裁判所で示しても、元夫から写真は合成と言われて、否定されていたそうです。
調停委員から、父母なんだから子供のことを考えたら連絡を取らないといけないのではないかと言われ、それまで直接連絡していませんでしたが、父母が直接連絡していませんでしたが、調停委員に言われてそうしなければならないと思ったとLINEを交換し、翌日から長文のメッセージが毎日届き、元夫がいつ来るか気が気でない状態になり、調停後初めての面会交流の日に子供が殺害された。
このように、家庭裁判所でDVを完全にしっかりと除外することができず、悲劇が起きている。しかし、まだその検証もなされていません。
家庭裁判所の実務では中立的な立場で双方の陳述を聞きますが、伊丹のケースのように、ほとんどのケースでは、一方がDVを訴え、一方が否定します。例えば、長時間説教されたとの主張に対して、じっくり話し合っただけだとか、投げ飛ばされたという主張に対して、興奮していたから止めようとしただけだなどと述べ、お互いの世界から見える景色が違う、これがDVのケースの特徴です。二つの世界があるので、家庭裁判所がDVを認定、除外するというのは非常に困難になります。
そして、DVを除外できず、子供の命が犠牲になったり子供への負の影響が出ることは、日本だけでなく海外の家庭裁判所でも共通の課題となっております。
資料七は、米国、センター・フォー・ジュディシャル・エクセレンスの報告。この資料は、子の監護紛争で子供が亡くなった十二ケースの分析ですが、こちらの五ページに、家庭裁判所がDVや子供への虐待のサインを軽視したというふうに記載されています。
資料八は、イギリスのウーマンズエード二〇一六年。十九人の子供が裁判所の子の監護紛争で亡くなったケース分析ですが、同じく家庭裁判所がDVを除外せずに面会交流を決定したことと分析してあり、これは世界的な課題でもあります。
面会交流と親権は別問題ではありますけれども、こういった問題が起きないか懸念されるところです。
養育費についてです。
本法案では、法定養育費については、金額は明示されていませんが低額というふうに見込まれています。先取特権があると言いますが、そもそも差し押さえできる給与や財産がない人もいます。
私は、家庭裁判所の調査官の在職時に養育費の履行勧告を担当していたことありますけれども、そもそも養育費を払いたくない人が多く、また、決まっても履行しない、払わないなどと言い、その背景には元配偶者への感情的なもつれがあります。結果として子供が困窮します。
少年事件、これは、養育費の支払がなく、同居親、多くは母親が生活苦のために昼も夜も働いて、結果的に子供が放任されて非行に至るという、そういう少年事件も多いです。
海外では、面会交流を促進すれば養育費の支払率が高いと紹介されていますが、例えば米国では養育費の支払率は約七〇%とされていますが、その理由として、養育費を支払わないと運転免許証やパスポートの停止など、そういった制度があるからであって、諸外国の養育費制度を考慮せず、面会交流の下、養育費支払率を関連付けることはできません。
海外で行われている養育費の立替え、徴収などの制度はなぜ取り入れられないのか、同居親が別居親の合意を得る制度としての共同親権だけがつくられ、なぜ別居親の養育費不払はそのままなのか、非対称性が著しい、不平等性がある、子供及び同居親が困窮のままになってしまうというふうに考えております。
共同監護についてです。
父母が互いにリスペクトし、子供の意向を踏まえて協議できれば、子供にとって双方から愛されていると感じ、子供に好影響です。しかし、父母が対立し話合いができないケースで家庭裁判所が共同での親権や共同監護を命じると子供は幸せになるんでしょうか。また、スケジュールどおりに子供が父母間を行き来する共同監護計画は子供の利益になるんでしょうか。
これについて、米国の離婚家庭の子供を二十五年間長期にわたって追跡したワラースタイン博士の古典的研究があります。資料九のワラースタイン博士の「それでも僕らは生きていく」、以下のように述べられています。
ポーラの父親は、月に二度、週末の金曜日の放課後から日曜日の六時まで子供たちを預かることになった。長い休暇は毎年代わりばんこに過ごすことになった。その後、三年間、ポーラとジョーンはまるでタイムカードを打つ工場労働者さながらにこのスケジュールを遵守させられた。ジョーンは友人との付き合いや学校の活動が犠牲になることにいら立ちを感じ、父親と自分の生活に干渉してくる裁判所に激しい怒りを感じていた。姉のポーラは、幾つになったら父さんとの面会は拒絶できるのと。だって、行かなくちゃいけないんですもの。ばかな判事がそう言ったのよ。月に二回と、七月は丸一か月よ。七月なんか大嫌い。最悪だわ。去年の七月はずっと泣き通しで、何でこんな罰を受けるんだろうと考えたわ。私がどんな罪を犯したっていうの。
そして、ワラースタイン博士は、研究対象の離婚家庭出身の男児は一人残らず自分たちの子供に同じ経験をさせたくないと語っていました、自分の子供には二つの家を行き来させたいと言った者はいませんでしたと指摘し、離婚していない家庭の友達が週末や休日の過ごし方を自分で決定できるのに比べ、いや応なしに行くべき場所を決められ、存在を軽んじているような気分になることだったと述べています。
子供たちは安心した環境で育ち、子供は自由に生きてよい、同居親とあるいは別居親との信頼、愛着関係の中で、子供は行きたい学校に行く、行きたい病院に行く、やりたいことをやりたいと言い、嫌なことを嫌だと言うことができ、会いたいとき、子供が会いたいときに会えることができ、会いたくないとき、会いたくないときや友達との都合を優先したいときにはそれが尊重される、そのような子供が安心して過ごせる環境整備が子の利益であります。進学や医療で合意がもらえないかもしれない、家裁にその都度行かなければいけないかもしれないと、子供を不安にさせたり諦めさせることがあってはならないのです。
これまで述べてきたように、非合意ケースにおいて、対立する父母の下で意思決定ができないことが生じれば子供の利益にならず、家裁がDVを除外することは困難であることから、共同親権を導入するにしても、子供の意見を尊重することを前提に、父母が対等に合意したケースに限って認めるべきでしょう。
本法案は、以下のとおり修正しなければ廃案にするべきと考えます。
非合意ケースは原則的に単独親権にする。子供の意思の尊重を明記する。共同親権の場合も、子供の進学や医療のために別居親の合意を得る必要がないように監護者指定を必須にする。これによって子供が安心して生活でき、子の利益にかなうのではないでしょうか。法案が子供を泣かせるようなことがあってはならないと考えます。
終わります。

 

○仁比聡平君 日本共産党の仁比聡平でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
本法案で果たして子供の利益を見出していけるのかということについてまず熊上参考人にお尋ねをしたいと思うんですけれども、私がこの参議院の審議に入りましてしばしば引用させていただいています日本乳幼児精神保健学会の声明がございます。その中でこういう引用、記述があります。
主たる養育者を始めとする周囲の人とやり取りし、優しく温かい声や浮き浮きするリズム、心地よい身体的刺激などの肯定的な交流を得て脳や神経が成長し、心と体を発達させていく、子供にとって主たる養育者とこうした幸せなやり取りができることは生存と発達の重要な要素であると。それゆえ、子供の成長発達にとって最も重要なのは、安全、安心を与えてくれる養育者との安定した関係と環境が守られることである。
こうした指摘について、熊上参考人はどんなふうにお考えでしょうか。
○参考人(熊上崇君) 特に乳幼児については、子供が安心して過ごすことができる、安心して寝られる、安心して甘えられる、遊ぶことができる、こういう環境が絶対に必要であるというのは、その乳幼児学会のとおりだと思います。
しかし、例えばこれが共同親権というふうに非合意ケースで決定されて、共同にするか単独親権にするかの争い、あるいは監護者をどちらにするかの争い、監護者が決まらなくて監護の分掌をどうするかの争い、これは日常行為なのかどうかの争い、急迫かどうかの争いと、常に親が争いに巻き込まれると、当然、親が、監護親が子供、乳幼児などを安心して育てるということが難しくなるのではないかというふうに懸念するんですね。
安心して子供と遊んだり、寝かし付けたり、おむつ替えたり、保育園連れていったり、保育園連れていっても子供たちを見守れると、そういったことが必要であるかと思いますので、常に双方の合意が要る状態になったり、それで争いが繰り返されるような状態に置くということは、そうした監護親と子供との関係に不安定な要素というのは非常に残るのではないかと、やっぱり安定した養育者との関係というのは第一に考えなければいけないというふうに考えます。
○仁比聡平君 そうしたことからだと思うんですけれども、冒頭の意見陳述の中で、共同監護につきまして、父母が互いにリスペクトし、子供の意向を踏まえて協議できれば、子供にとって双方から愛されていると感じ、子に好影響ですというふうにおっしゃったと思うんですが、ちょっと別の角度で言うと、そうした子供のペースや意思が尊重されるような関係、父母間に、たとえ夫婦としては別れても、子供の育てていくということに関してはそういう関係性というのが存在するということがこの共同監護を子の利益のために実らせていく上での言わば条件といいますか、前提のように思うんですけれども、いかがですか。
○参考人(熊上崇君) お互いが、夫婦が別れても、父母が別れても、今日、子供体調悪いからちょっと、面会交流でいえばちょっと行かせられないなとか、そういうふうにお互いが子供の体調とか都合、例えば野球の試合があるからちょっと今週は週末は行けないなとか、そういうふうにすれば子供は両親から愛されていると、関心を持たれているというふうに思うわけなんですね。これを目指さなきゃいけないんですね。そうすると、長期的に子供は両方の親を信頼できるようになると。
一方で、そうではないと。野球に行きたい、少年野球の試合があっても来なさい、こっちの家に来なさいとか、ピアノレッスン、ピアノ発表会があっても来なさいとか、そういう、決まったことだから、裁判所で決まったから、法的義務があるからやりなさいと、こういうことは子供の心に深い傷を残すし、そういうふうに決めてはいけない。非合意なことで決めると、そういった子供の心に深い悪影響を起こすというふうに思います。
○仁比聡平君 実際、子供のペースってすごく速いというか、大人とサイクルが違って、新しい何々ちゃんという友達ができたのよと、誕生パーティーに呼ばれたんだけど今度の週末おうちに行っていいというような、そういうやり取りの中で育まれていくものだなというふうに思うんですけれども。
ちょっとそれに関わって、浜田参考人が先ほどもおっしゃっていただいたんですけれども、日常の養育に関する決定は原則として監護親が行い、非監護親は監護親の権限行使を不当に妨げてはならないものとしてはどうか、あるいはすべきではないか、あるいは、今後のこの改正案を前提にしたときの問題としては、監護者の指定を定めれば参考人がおっしゃっていることと同じような効果をもたらすことができると思いますし、部会でもそうした議論があったと思うんですけれども、そうした提案をされるのは、今、熊上参考人に伺ったような意味で、子の利益あるいは児童の最善の利益に沿うものだからという、そういうことでしょうか。
○参考人(浜田真樹君) 御質問ありがとうございます。
大きな意味でいうと、おっしゃるとおりでございまして、やはり子供の日々の養育の環境というのが安定するということは極めて大きな利益になるものと考えております。ですので、それのやり方として、その日常養育のところを広く捉えるとか、その反対、非監護親は不当に妨げてはならないとかいうのが参考になるのではないかなということで申し上げました。
以上です。
○仁比聡平君 そこで、葛藤の高い父母、しかも、皆さんから、お立場それぞれ違うんですけれども、極めて厳しい批判が寄せられている裁判所によってその子の最善の利益を見出していくことができるんでしょうかということが大問題なんだと思うんですよ。
その点で、まず熊上参考人に、DV、虐待について現在の裁判所が認定できていないという厳しい批判がありました。これが一体なぜなのかということ、なぜ裁判官はあるいは調停委員会はそうした深刻な権利侵害を見出せないケースがあるのかという、そこはどうお考えでしょう。
○参考人(熊上崇君) 家庭裁判所も様々努力はもちろんしているとは思うんですけれども、どうしても、双方の言い分が対立してしまったときに、立場の弱い方を説得してしまうというような構造もあることも否めないのかなと。
例えば、子供が会いたくないとか会いたいとか言ったときに、会いたいと言う場合であればすんなり決まることが多いんですけど、会いたくないと言ったときに、じゃ、一回ぐらいはどうかなとか、じゃ、もうちょっと何回かできるかなとか、そうすると、うん、まあ何とか応じようというような、仮に不安や恐怖を持っていてもですね、そういったことがしばしば行われていて、DVや虐待をあえて無視しているわけではないんだけれども、結果的に家庭裁判所も事件を処理するために調停などでそういった働きかけが行われてしまったり、また、どうしても、子供と会うということは良いことなんだというような考え方、これはプロコンタクトカルチャーなどというふうにも言われていますけれども、そういったことで促すというような文化も今まであったのかなというふうには思っているところです。
○仁比聡平君 そうした文化の一つといいますか、そのプロコンタクトカルチャーというようなことでもあるかと思うんですが、ちょっと今資料が手元からなくなりましたが、先生がお書きになられた論文の中で、今日も御紹介がありましたけれども、面会交流を実施してきた子供、それからそうでない子供の実態調査をされたと。その報告の論文の中で、こうした調査は我が国ではこれまで行われていないのではないかという指摘があります。これ自体、深刻に受け止めるべきことだと思うんですよ。
みんなが子の利益が大事だと言い、二〇一一年にはそうした趣旨の法改正もされている。以来、様々な子供の心理についての危惧が指摘をされながら、我が国においてはそうした検証がなされていないという、そのことについてどうお考えですか。
○参考人(熊上崇君) どうしても、家庭裁判所は司法機関ということで、決定した後、なかなかその後の追跡というのが制度上なかったという問題があるわけなんですけれども、ただ、現実に、その後、面会交流支援団体などを見てみますと、非常な不安と恐怖の中で子供を連れていく親がいたりとか、そういうことを見たり、また、時々子供が犠牲になるような事件も起きているということなんですね。
しかしながら、家庭裁判所は司法機関だからその後の追跡調査ができないというのは、一面それはあるとは思うんですけれども、現実にその後の子供への悪影響がある、あるいは好影響もある場合もあるかもしれません。そういった調査というのは今後必ず必要だと思っていますし、それがない中での拙速な、例えば祖父母との面会交流なんというものは本当に有効なのかとか、そういったことを検証する必要はあるかなというふうに思っています。
親との面会交流でさえもすごくもめているのに、祖父母との面会交流というのが例えば出てきて、じゃ、子供がそのおじいちゃん、おばあちゃんと面会することを法的に義務付けられるということが本当に子の利益になるのかとか、そういったこともきちんと検証、考えていかなければいけないというふうに思います。
以上です。
○仁比聡平君 関わって、水野参考人、お尋ねしてよろしいでしょうか。
先ほどのお話の中で、これからの八百十九条の適用場面において、DVと評価されたくなくて共同親権を求める例が起こるのではないかと危惧しておられるという御発言があったかと思います。
二〇二二年の「法学教室」の論文を拝見したんですけれども、DVや児童虐待のように家族間に暴力や支配があるケースにおいては、親権行使を口実に加害者が付きまとい、極端な言い方をすれば、公認ストーカーを承認することになりかねないという厳しい御指摘もされているわけですが、この改正案がそうならない保証といいますか、ここはどう考えておられるんでしょうか。
○参考人(水野紀子君) 御質問ありがとうございます。
本当にそういう危険はどうしても残ると思います。それをできるだけ最小限にするしかない。これが全くないようなケースというのは、それは、もし共同親権を認めなければそういう事態がない、なくなるかといいますと、私は決してそうではないと思います。
といいますのは、そこにも、御覧いただいてありがとうございます、私の論文にも書きましたように、現実にそういう事態がたくさん起こっております。そして、そういう現実にたくさん起こっている事態で、日本の社会は、DVというのは児童虐待環境でもあるわけですけれども、そこから被害者たち、子供たちをきちんと救えていない。よりましな形でどうやって制度設計できるかということで、日本はそこのところが非常に遅れているので、そういうリスクはあるということを書いたまででございます。
でも、単独親権にしておけばそのようなリスクは失われるとは私は思っておりません。
○仁比聡平君 この改正が、改正案はもちろんなんですけれども、現行の家族法と裁判所において、典型的にはDV、虐待の問題が言われているわけですけれども、これが解決されているのかというと、そうではないということを先生もおっしゃっているのかなというふうに思うんですね。
ちょっと本当に時間がなくなって申し訳ないんですが、鈴木参考人、ちょっと一点だけお尋ねしたいんですが、面会交流の判断が裁判所によってされたケースであるにもかかわらず会えないという点を突き出していただいたんですが、そうした父母の場合に親権を共同に行使するというのはちょっとあり得ないように思うんですけど、そこはいかがですか。
○参考人(鈴木明子君) 御質問ありがとうございます。
今現在の時点でいくと難しい点もあろうかと思うんですけれども、その前提として、やはり親権を奪い合うというような前提が今あるので、そうなっている人たちも多いと思います。
ですので、文化としてその点を変えていただくことによって親権を争わないで済む、そうなれば、場合によっては面会交流というよりは共同養育、共同親権になっていく人たちも増えていくのではないかなというふうに思っております。
○仁比聡平君 果たしてそうなのかということだと思います。
ありがとうございました。