○仁比聡平君 日本共産党の仁比聡平でございます。

今日は、部落問題についての法務省の立場について、法務大臣並びに人権擁護局長にお尋ねをいたします。

お手元に、平成元年八月四日付けで法務省人権擁護局総務課長が発した「確認・糾弾会について」という通知をお配りをしています。これは、「はじめに」というところに記載をされているように、「部落解放同盟(以下「解同」という。)は、結成以来一貫して糾弾を部落解放闘争の基本に置いてきている。この資料は、この基本に基づいて解同の行う確認・糾弾会についての当局の見解をまとめたものである。」としているとおりのものです。

一九六〇年代後半からこの部落解放同盟による確認・糾弾と称する暴力が吹き荒れる中でこの通知が発されたわけですが、ここに言う確認・糾弾とは何か。この通知の三項、「現在行われている確認・糾弾会についての解同の見解」というものが述べられていますけれども、そこにはこうあります。「確認・糾弾会は、被差別者が、差別者の行った事実及びその差別性の有無を確定し、差別の本質を明らかにした上で(確認)、」というとおりなんですが、そこで局長に伺いたいんですけれども、これは、部落民以外は全て差別者、踏まれた者の痛みは踏まれた者にしか分からないという、解同朝田派の理論と呼ばれる特異な考え方に基づくものです。

この通知の四ページ目にも、「確認・糾弾会に付随する論点」として「解同は、心の痛みを受けたことのない者が差別事件を的確に理解することはできないと主張することがある」と指摘しているとおりなんですが、つまり、当時の解同の言う確認というのは、差別かどうか、その本質を、被差別者、つまり解同が確定、認定するというものですね。

○政府参考人(萩本修君) この通知の発出当時、部落解放同盟がその活動の基本としているいわゆる確認・糾弾会について、当時の人権擁護局として今委員御指摘のとおりに認識していたということでございます。

○仁比聡平君 当時のというふうにおっしゃるんですが、その点は後に伺いたいと思います。

そうした確認の上で、「差別者の反省を求め、これに抗議し、教育して人間変革を求める(糾弾)とともに、その追及を通じて、関係者、行政機関などに、差別の本質と当面解決を迫らねばならない課題を深く理解させる場である。」と確認・糾弾会を規定したのが解同の理論です。

それに対して、地対協意見具申が昭和六十一年十二月に発せられました、一九八六年のことですが。これ、後で詳しく聞きたいと思いますけれども、この地対協意見具申を、四項の一番最後の二行、「法務省は、この提言を真摯に受け止め、その趣旨に沿った取組に鋭意努力してきたところである。」とした上で、五項、「当局の見解」というのがあります。現実の確認・糾弾会について、「(1)基本的な問題点」としてア、イ、ウの三点を指摘しているのですが、局長に一つずつ伺いたいと思うんです。まず、最初のアというのは、これはどういうふうに指摘をしているわけですか。

○政府参考人(萩本修君) 指摘自体読み上げるのが最も的確に伝わるかと思いますので、読み上げる形で御説明したいと思いますが、まず第一点として指摘している内容は、「確認・糾弾会は、いわゆる被害者集団が多数の威力を背景に差別したとされる者に対して抗議等を行うものであるから、被糾弾者がこれに異議を述べ、事実の存否、内容を争うこともままならず、また、その性質上行き過ぎて被糾弾者の人権への配慮に欠けたものとなる可能性を本来持っている。」という点を指摘したものでございます。

○仁比聡平君 述べられたように、人権侵害の可能性を本来持っている、つまり、その性格上持っている、あるいは本来的に持っているということを、意見具申を踏まえてこの法務省の通知でも指摘をしているわけです。

次のイはどうですか。

○政府参考人(萩本修君) 第二点として指摘しております内容は、「確認・糾弾会においては、被糾弾者の人権擁護に対する手続的保障がない。すなわち、被糾弾者の弁護人的役割を果たす者がいない上、被害者集団が検察官と裁判官の両方の役割を果たしており、差別の判定機関としての公正・中立性が望めず、何が差別かということの判断を始め、主観的な立場から、恣意的な判断がなされる可能性が高い。」ことを指摘したものでございます。

○仁比聡平君 つまり、先ほど述べていただいたとおり、差別かどうか、差別の本質は解同が認定するという解同朝田派の理論によれば、主観的で恣意的な判断がなされる可能性が高いと言っているわけですよね。これ、法務省通知にいう解同の見解に基づけば、こうしたものになるという指摘ですよね、局長。

○政府参考人(萩本修君) 当時のそのような判断を記載したものと理解しております。

○仁比聡平君 ウはどうですか。

○政府参考人(萩本修君) 基本的な問題の第三点として指摘しております内容は、「被糾弾者には、確認・糾弾会の完結時についての目途が与えられない。反省文や決意表明書の提出、研修の実施、同和問題企業連絡会等への加入、賛助金等の支払い等々確認・糾弾行為を終結させるための謝罪行為が恣意的に求められ、これに応じることを余儀なくされる。」という点を指摘したものでございます。

○仁比聡平君 つまり、確認・糾弾の対象とされた者が、自らが差別者であるということを認め、屈服するまでこの確認・糾弾は終わらないということです。そして、その認めたあかしに、今この通知にあるように、反省文や、あるいは行政や学校、企業などにおける研修の実施、同和問題企業連絡会などへの加入、そして賛助金等の支払などなど、そうした謝罪行為なるものが恣意的に求められ、これに応じることを余儀なくされる、強要される、そうした実態があるということをこの通知は述べているんだと思いますが、そのとおりですか。

○政府参考人(萩本修君) もう大分前の事実関係になりますので当時の状況の詳細はつまびらかにしておりませんけれども、このような通知が発せられたということからしますと、記載のような実態が生じていると当時当局において認識していたことを背景にこれらの記載がされたものと理解しております。

○仁比聡平君 皆さん、この通知の最初の「はじめに」のところをもう一度見ていただきたいと思うんですが、当時の人権擁護局がどう認識していたかと。そもそもというのがありますね、「そもそも、国の行政機関は、基本的には、民間運動団体の行動についてその意見を述べるべき立場にないものである。しかし、差別の解消という行政目的を達成する上で障害となっているものがあるとすれば、これを取り除くよう提言すべきことは当然である。」と述べているわけです。

つまり、解同による暴力的な確認・糾弾というのが断じて許すことができないし、加えて、差別の解消を達成する上で障害となっているという状況だったからこそこの通知が発せられたわけですね。

この冒頭、「はじめに」の部分にこうした記述があるのは、局長、そういう趣旨じゃありませんか。

○政府参考人(萩本修君) 繰り返しになりますが、当時の状況はつまびらかにしておりませんけれども、このような記載がされたということは、そうした実態が生じていると当時認識していたことを背景にこうした通知が発せられたものと理解しております。

○仁比聡平君 戻っていただいて、四ページ目のその他の問題点のイのところにこうあります。確認・糾弾会に出席する法的義務はなく、その場に出るか否かはあくまでも本人の自由意思によるべきである、しかし、現実には解同は、出席を拒否する被糾弾者に対して、差別者は当然確認・糾弾会に出席すべきであるとし、あるいはこれを開き直りであるとして、直接、間接に強い圧力を掛け、被糾弾者を結局出席せざるを得ない状況に追い込むことが多く、飛ばしますが、真の自由意思によるものかに疑問がある場合が多いというわけですね。

こうした通知の書きぶりから、当時、解同の見解の下で、現実にこうした重大な人権侵害が行われていたということは明らかです。

そこで、大臣にお尋ねしたいと思うんですが、この確認・糾弾によってどれだけの人権侵害が発生したか、これは数え切れないんですね。それは、この法務省通知が指摘をしている、あるいは批判している解同の見解に基づいて起こったものではありませんか。

何で。大臣、大臣。

○大臣政務官(井野俊郎君) お答え申し上げます。(発言する者あり)私の方からお答え申し上げます。

委員御指摘の平成元年通知は、差別の解消という行政目的を達成する上で障害となっているものがあればこれを取り除くべきとの認識の下に、先ほど人権擁護局長が答弁したとおりの問題点を踏まえ発出されたものであると、そのように考えております。

○仁比聡平君 大臣、大臣がお答えにならない理由をまずお答えいただきたい。

○国務大臣(金田勝年君) 私ども政務三役で最も適切な答弁をしたいと思っている中で、今、ただいま私ども三役に質問がございましたので、私から申し上げてもいいんですが、政務官の方で答えるという趣旨で挙手をしたものであります。その後、私も考えを聞かれれば申し上げるつもりでおります。

○仁比聡平君 いや、大臣、私が指名をしているのに自ら御答弁になさろうとしないという態度は、態度ならですよ、それは重大ですよ。部落問題という日本の歴史と民主主義において極めて重大な、あるいは重要な問題について、私は今日の委員会でこの質問あえて行わざるを得なくなっている。だから大臣に御答弁を、通告しているでしょう、お答えになるのが当然であって、もう一度伺います、先ほどの質問についての大臣の答弁を伺います。

○国務大臣(金田勝年君) 私どもの政務官からもお答え申し上げましたが、委員ただいま御指摘の平成元年の通知は、差別の解消という行政目的を達成する上で障害となっているものがあればこれを取り除くべきとの認識の下に、先ほど私どもの局長から申し上げましたとおりの問題点を踏まえて発出されたものと推察をするところであります。

○仁比聡平君 あと、大臣、推察をしておられるというふうにおっしゃるんですが、その歴史の事実というのは、これは拭いようはないですね。

お手元の資料に、昭和四十九年十二月十九日の衆議院予算委員会の会議録をお配りをいたしました。これは、一九七四年十一月二十二日、くしくも四十二年前の今日のことですが、兵庫県八鹿高校で、断じて許してはならない集団監禁暴行事件が発生し、我が党の村上弘衆議院議員が当時の三木内閣の責任を追及した際の議事録です。この議事録三十一ページにこの問題の質疑があるわけですけれども、八鹿高校事件というのはそもそも何かと。解同による差別糾弾路線は、一九六九年に大阪市で発生した矢田事件という暴行、監禁事件を始めとして、次々と行政機関あるいは学校、教育現場を巻き込んで路線に同調しない人々の人権を侵害をしてきました。その挙げ句、ついに部落解放同盟員が、解同の教育介入に反対する教員集団、高校の先生方およそ五十名を体育館に監禁し、集団リンチで殴る蹴るといった暴行を加えて重傷を負わせる事件にまで発展したのがこの八鹿高校事件なんですね。

解同は、八鹿高校に、解同指導下の解放研の設置を迫りました。しかし、職員会議が一致して、高校には既に部落研がある、校外の指導を受ける解放研設置は認め難いとしたことを理由に、口実に、解同は校長に迫って、校長室の隣の部屋に糾弾闘争本部を置いて、校舎に投光器を設置して、長期にわたる糾弾、監禁の構えを取ったわけです。その非常事態に対して、十一月二十二日、教職員一同およそ六十名が緊急避難のために集団で下校しようとしたところ、解同が、白昼の路上で、そして体育館に監禁して行った暴行を、当時、私どもの村上弘衆議院議員が、三十二ページですけれども、一番上の段に、このように述べています。

負傷者は全員で五十八名、そのうち十三名が重傷というのが政府委員の答弁ですね。その重傷とは何か。肋骨、腰椎、横突起などの骨折。その他全身打撲である。やけど、特に失神した人がたくさんいるというのが特徴である。

リンチのやり方についてこう述べています。頭に対しては飛び蹴り、ほうきの柄で殴る。電柱や机、壁にぶつける。毛髪を引っ張る。顔に対しては、頬をひねって、ちぎり取るように引っ張る。長靴で殴る。唾を吐きかける。これは流れるほど唾を吐きかける。水の入ったバケツやたらいの中に顔を突っ込む。たばこの火や顔を首に押し付ける。胸や腹、腰を金具の付いた半長靴で蹴る。手足を靴や椅子の脚で踏ん付ける。指の関節の部分にボールペンを挟んで、強く握る。頭から全身に水をぶっかける。そして、女性教師を裸にする。

こうした蛮行を行うに至ったのが部落解放同盟の確認・糾弾路線なんですね。このとき、十一名がまず逮捕されましたが、四名を逮捕するために警察は五千名の警察官を動員しています。そうした事態が現に四十二年前起こりました。

私は、この事件は、この八鹿高校のみにおいて偶発的に発生したのではない、部落民以外は全て差別者である、差別された者の痛みは差別された者にしか分からないとする解同の見解がエスカレートし、行き着いた重大な事件であって、戦後の部落解放運動の中に生まれた誤りだと思いますが、大臣の御所見はいかがでしょうか。

○国務大臣(金田勝年君) ただいま委員の御指摘の点につきましては、糾弾権に関する八鹿高校等刑事事件、大阪高裁判決につきまして、一般的、包括的に糾弾行為を自救行為として是認したものではないこと、まして、糾弾する権利を認めたものではないことを指摘いたしておりますとともに、この判決が糾弾権等を認めたとする解同の主張を否定したものである、このように受け止めております。

○仁比聡平君 そのような刑事事件判決がある。そして、法務省はその立場に立っていると。

加えて、被害者が提訴した民事事件においては、今私が申し上げたような事実関係が詳細に認定をされた上で、当然損害賠償請求が認められております。その判決の中では、そうして暴力にさらされた学校の先生方がそれぞれの意思に反して、解放研生徒と話し合わなかったことを反省する、今までの同和教育は誤っていた、今後は解放同盟と連帯して部落解放のために闘うなどという趣旨を記載した自己批判書又は確認書の作成を余儀なくされたという認定にも至っているわけですね。

こうした確認・糾弾をてこにした圧力が行政あるいは教育現場を中心に、あるいは企業に対して掛けられていく中で、昭和六十一年の地対協意見具申というのがあるわけです。

この三部目に皆さんのお手元にも資料をお配りをしていますけれども、この二ページ目にある「地域改善対策の現状に関する基本的認識」というところをよく御覧いただきたいと思うんですね。当時の同和特別対策の推進によって、同対審答申で指摘された同和地区の劣悪で低位な実態は大きく改善を見た、また、心理的差別についても、内外における人権尊重の風潮の高まり、各種の啓発施策及び同和教育の実施、実態面の劣悪さの改善等によりその解消が進んできていると整理をした上で、下のページに三百九十九ページというページがあると思いますが、上の方に反面とあります。反面、これまでの行政機関の姿勢や民間運動団体の行動形態などに起因する新しい諸問題は、同和問題に対する根強い批判を生み、同和問題の解決を困難にし、複雑にしている。下の方に行きまして、しかし、新しい要因による新たな意識は、その新しい要因が克服されなければ解消されることは困難であるとしているわけですね。

その新しい要因として、第一に、行政の主体性の欠如、民間運動団体の威圧的な態度に押し切られて、不適切な行政運営を行うという傾向を指摘し、第二に、同和関係者の自立、向上の精神の涵養の視点の軽視。第三は、えせ同和行為の横行。読みますが、民間運動団体の行き過ぎた言動に由来する同和問題は怖い問題であり、避けた方がよいとの意識の発生は、この問題に対する新たな差別意識を生む要因となっている。えせ同和行為は、何らかの利権を得るため、同和問題を口実にして企業、行政機関等へ不当な圧力を掛けるものであり、その行為自体が問題とされ、排除されるべき性格のものである。そして第四に、同和問題についての自由な意見の潜在化傾向を挙げ、先ほど確認をいただいた確認・糾弾という問題について、法務省通知と同旨が個々に述べられているわけです。

以上の四点を指摘した上で、地対協意見具申は、以上のような諸要因を是正していくことが不可欠である、同和問題解決のために成し遂げるべき極めて重要な今日的課題である、そう述べていますが、大臣、同じ認識ですか。

○国務大臣(金田勝年君) 昭和六十一年の意見具申において、民間運動団体の行き過ぎた言動等によりまして、行政の主体性の欠如、あるいはえせ同和行為の横行が見られるとの指摘がされていたことは委員御指摘のとおりであります。

このような問題が差別意識の解消を阻害し、また新たな差別意識を生む要因となり得るという点については、現在も変わらないものと承知をしております。

○仁比聡平君 そうした下で、時間が迫ってきましたから質問飛ばして伺うんですけれども、公益財団法人人権教育啓発推進センターが今年の一月に発行している、心を開こう、同和問題を考えるためにというパンフレットがあります。

ここには、局長にお尋ねしますが、日本固有の同和問題とはという定義として、日本固有の人権問題である同和問題は、同和地区、被差別部落などと呼ばれる地域の出身であることや、そこに住んでいることを理由に、結婚を反対されたり、就職や日常生活の上で様々な差別を受けるという問題ですというふうに定義をしているんですが、これは法務省が同和問題とは何かということで述べておられる定義と異なります。違います。法務省はどのように定義をしているか。そして、その立場からしたときに、このパンフレットが言う被差別部落などと呼ばれる地域の出身であること、あるいは住んでいることというのは一体どう考えたらいいのか。いかがですか。

○政府参考人(萩本修君) まず、法務省が同和問題をどのように位置付けているかということですが、法務省では、同和問題につきまして、日本社会の歴史的過程で形作られた身分差別により、日本国民の一部の人々が、長い間、経済的、社会的、文化的に低い状態に置かれることを強いられ、日常生活の上で差別を受けるなどしている我が国固有の人権問題というように位置付けておりまして、この同和問題に関わる差別や偏見をなくすことが重要であるという認識の下、これまで啓発活動など各種の施策を実施してきたものでございます。

委員御指摘のパンフレット、公益財団法人が作成したものでして、ちょっと、法務省が作成したものではありませんので、このパンフレットの内容についてのコメントは差し控えたいと思います。

○仁比聡平君 述べられた法務省の同和問題の定義というのは、これは、同対審答申以来、一貫したものなわけです。一方で、このパンフレットにある、被差別部落などと呼ばれる地域の出身であることや、そこに住んでいることということをどう解するのか。

これ、生まれ育ったとか現在住んでいるとか、あるいは過去住んでいたとか、出身という言葉になると、一度も住んだことはないんだけれども親がその地域に過去住んでいたとか、あるいはおじいちゃんやおばあちゃんがその地域に住んでいたことがあるとか、あるいは何代まで遡って血筋をたどるのか、本籍をたどるのかと、この出身という概念はどこまででも広がっていくわけですね。こういう考え方を法務省が定義として述べたことは過去一度もないと、これは改めて次の機会に確認をしたいと思うんですけれども。

お手元の資料に、不公正、乱脈な同和行政が地方政治の重大な問題となり続けてきた大阪府が、今年一月の二十二日に「旧同和対策事業対象地域の課題について 実態把握の結果及び専門委員の意見を踏まえて」という報告を出しているものをお配りをしています。

これの七ページ目にあるように、調査から推認できることとして、対象地域で見られる課題の現れ方は多様であり一くくりにすることはできない、対象地域と同様の課題の集中が対象地域以外にも見られる、対象地域で見られる課題は必ずしも全てが部落差別の結果と捉えることはできないとしているものに対して、専門委員のお一人が、部落差別から何らかの影響を受けているものもあると考えられる、そうした実態調査が必要だという趣旨の意見を述べたのに対して、十六ページ目ですが、大阪府は、そうした調査をするとしたら、対象地域の住民を対象として調査対象者を抽出し、それらの対象者に対して調査の趣旨及び居住地が対象地域であるということを明示した上で、対象地域出身者であることの自己認識、被差別体験の有無及び生活実態面の課題と被差別体験の関連を聴く必要がある。しかし、調査対象者に対してそういうことを教示し、出身者であるか否か、差別体験があるか否かなどのセンシティブな情報を収集する調査を実施することは困難である。大阪府が、特別対策としての同和対策事業が終了した現在において、条例により差別防止の観点から規制している行為を規制当局である大阪府が行うことは不適切であるとしているんですね。

大臣に今日最後伺いたいんですが、私、この大阪府の報告が言うとおりだと思うんですよ。もし、九三年に行われた言わば最後の同和地区実態把握調査、このとき同和地区数、全国で四千四百四十二地区、同和関係者あるいは同和地区居住者として二百十五万八千七百八十九人の人々を対象にした調査が行われました。そうしたときからも人口移動や混住がどんどん進んでいる下で、こうした角度での実態調査を行うなんてとんでもない人権侵害だと思いますが、大臣、いかがですか。

○国務大臣(金田勝年君) 御指摘の見解は大阪府府民文化部の人権局の作成の資料において示されていると、このように受け止めておりますので、私の、法務省としての所見を述べるのは差し控えたいと思います。

ただ、一般論として、仮に御指摘のような調査がされるに当たっては、その調査によって新たな差別が起きることのないように留意をして、調査の内容、手法等が検討される必要があると、このように考えております。

○仁比聡平君 事柄はっきりさせなきゃいけないと思います。今日は終わります。