手足のしびれなどの感覚障害に長年苦しみながらも、なんの補償も受けられず、ふるさとから離れた地で埋もれていた水俣病公害被害者。国や加害企業「チッソ」に救済を求め、2月23日、病の体をおして立ち上がりました。
提訴後の「水俣病被害者を囲む交流会」と報告集会では、すべての被害者救済を求めているノーモア・ミナマタ熊本訴訟や同新潟訴訟、同東京訴訟の各原告と、ぜんそく患者の救済制度を実現させた東京大気汚染公害訴訟原告団がたたかいの経験を語り合いました。
熊本や新潟のノーモア・ミナマタ訴訟の原告らが口をそろえて語ったのは、親類や家族の体調の異変に気づいていても、自分まで水俣病だとは思っていなかったことです。
昨年9月に、不知火海沿岸で初めて検診を受けた小山顕治さん(61)は「水俣病とわかった以上、うやむやにはできない」と原告に加わりました。手足のしびれや冷えが耐えられなくなり、「診断をきいたとき、やっぱり」と思いました。
東京訴訟原告は、体の不調を加齢によるものか、べつの病気のせいではないかと思っていたのが実情です。
原告予定者の小田勝義さん(65)は、高校卒業後、鹿児島県出水市から上京して就職しました。「手足の先、口の周りのしびれ、体全体がつる症状があり、認定患者の兄の勧めで07年に受診し診断が下された。関東では、水俣病についての情報がないので、被害者みんなが救われるようにがんばっていきたい」と話しました。
ノーモア・ミナマタ熊本訴訟の大石利生団長は「不知火海沿岸から移り住んで、水俣病に苦しんでいる人はまだたくさんいる。東京訴訟の原告のみなさんが、メディアを通じて救済を訴えることで、多くの人たちも救済を求めようと声をあげることができるようにもなる」と語ります。
約100人が参加した報告集会には、日本共産党の市田忠義書記局長が、メッセージを寄せ、仁比そうへい参院議員があいさつ。仁比氏は、「不知火患者会のブルーのタスキをかけてみなさんが立ち上がった重みを、新政権と裁判所はしっかり受け止め、甚大な水俣病公害の被害の現実を直視し、最高裁判決が示した被害者救済をすみやかにすすめることを、強く国に求めたい」と発言しました。
不知火患者会は4月11日、首都圏在住者を対象に2回目の水俣病検診・健康相談を開く予定です。連絡先は同会の林田直樹さん=090(1346)4526。
解説
2005年に未認定の水俣病公害被害者50人が国や加害企業「チッソ」に賠償を求め、熊本地裁で始まったノーモアミ・ナマタ国賠訴訟は、同近畿訴訟(大阪地裁)、同新潟訴訟(新潟地裁)と続き、今回の東京訴訟(東京地裁)で、原告が2200人を超える集団訴訟に発展しました。
潜在的な水俣病公害被害者が全国におよび、国が被害者の救済をこれ以上放置するのは許されないことを物語っています。
熊本、鹿児島両県の不知火海沿岸で育ち、ふるさとを離れた人たちの中の水俣病公害被害者のほとんどは、自分を苦しめる感覚障害や運動失調が水俣病だとは気付かず、声をあげることもできませんでした。国が不知火海沿岸住民の健康調査を行おうとしなかったばかりか、全国に散らばった潜在患者の把握を怠ってきたためです。
ノーモアミ・ナマタ東京訴訟原告団と不知火患者会関東支部の提訴にあたっての声明は「国や出身県からは何らの情報も得られず、放置されたままにされてきた」と指摘。「まだまだ情報を知らされないまま苦しんでいる多数の水俣病患者がいるはず」と全面解決を求め、「一致団結してたたかい抜く覚悟です」と表明しました。
民医連と水俣病不知火患者会が今月7日に実施した水俣病検診でも受診した49人のうち46人が水俣病・水俣病疑いと診断され、このうち13人が今回の原告になっています。
自民、公明、民主各党などの賛成で成立した「水俣病特措法」(被害者を切り捨てるチッソ救済法)は、訴訟提起者を救済対象から外すなど、すべての被害者救済からほど遠い内容で、同法の枠内にとどまらない深刻な被害の存在が改めて浮き彫りになりました。
今回の東京訴訟の意義について、同訴訟弁護団は、原告の損害賠償にとどまらず、声をまだ上げていない救済を求めているすべての水俣病公害被害者の救済制度を実現することにあると指摘します。
同熊本訴訟は1月の熊本地裁の和解勧告をうけ、国と原告団との和解交渉が始まっており、すべての被害者を救済する制度を国につくらせることが最大の焦点。東京提訴も、水俣病公害被害者を一人残らず一刻も早く救済したいという原告の悲願に、国は応えることが迫られています。(宇野籠彦)(しんぶん赤旗2010年2月24日)