母がくれた絵本に胸焦がし

 四大工業地帯と呼ばれた北九州市で、労働者の生活などお構いなしの合理化と、公害の苦しみを目の当たりにして育ちました。父は誇りある製鉄労働者でしたが、きつい3交代で給料は安く、常に労災と隣り合わせでした。
 
 中国から引き揚げ、新日本婦人の会創立に参加した母が、ベトナム戦争反対と沖縄復帰運動の中でくれた絵本『ベトナムのダーちゃん』に胸を焦がしたのを思い出します。「兄ちゃんがまた菓子袋の裏まで読みよる」と、弟たちが告げ口するほど生来の“読み魔”でした。
 
 吹奏楽に熱中する一方で、文学はむろん歴史書や百科事典の類い、中2の時には、父の本棚から『共産党宣言』と『空想から科学へ』もひっぱりだして読みあさりました。
 
 なぜ人が使い捨ての道具のように扱われるのか。なぜ財界と大金持ちが力を握っているのか。個人の尊厳がうたわれ、主権在民のはずなのにおかしいじゃないか―それが私の原点です。京大に進み、18歳の時「私たちは世界を解釈するのではなく、変革するのだ」という先輩の言葉に「そうだ!」と入党を決意したのです。
 

 
 「学費値上げ反対・大学の自治守れ」の学生大会や「トマホーク来るな」の京都・舞鶴行動など、学生自治会と民主府政運動で鍛えられ、「法を武器に社会を変える」と弁護士を志しました。
 
 「ひとりの被害者の後ろには千人の同じ被害者がいる」と肝に銘じています。生きづらさの大本にある社会のしくみを変えたい。自分を責め、さいなむ人々が、共感し手を取り合える真の主権在民の日本へ。ここがふんばりどころです。(しんぶん赤旗 2022年2月26日)