また重大な冤罪(えんざい)事件が明らかになりました。無実にもかかわらず女児殺害の罪で無期懲役が確定し、17年半にわたって服役させられた菅家利和さんの再審開始が決まった足利事件です。
冤罪を生んだ元凶は、密室の取調室での自白強要です。違法・不当な自白強要に歯止めをかけ、二度と冤罪を繰り返さないために、警察、検察の取り調べの一部始終を録画し、後で検証できるようにする「取り調べの全過程の可視化」実施が不可欠の課題となっています。
「刑事が怖かった」
菅家さんの再審を決めた東京高裁でのDNA再鑑定で、犯人のものと菅家さんのものとは「型」が違うということが判明しました。アリバイの成立と同じことで、菅家さんが犯人ではありえないという完全無実の証明です。
菅家さんは犯人ではないのに、警察の取り調べにたいし、詳細な「自白」をしています。訴追され、死刑になるかもしれないというのに、なぜ自分が体験したこともない「事実」をさもあったかのように供述しなければならなかったのか。菅家さんは、その異常心理を「刑事が怖かった」という言葉で表しています。
髪をつかみ、足をけるなどの暴力で「おまえが殺した」「証拠はある」と決めつけ、「やっていない」といっても壁のようにはねかえす刑事たち。長時間の取り調べに疲れ果て、絶望のなかで「やった」といったときの悔しさ。菅家さんは、いったん認めた以上、刑事の筋書きどおりの虚偽の自白を続けるしかありませんでした。
こうしてつくられた「自白」は、客観的事実とは数々の矛盾をもつものでした。しかし、捜査でも裁判でも、その矛盾がまともに吟味されることはありませんでした。自白を強要し、それが「調書」として証拠化されればよしとする日本の刑事司法の構造が、最悪の暴走をしたのです。
菅家さんの釈放後の参院法務委員会で、森英介法相は「『取り調べ』が日本でこれだけ重要性が高いという状況から、その機能が損なわれるようなことには慎重であるべきだ」と「可視化」を拒む態度をとりました。質問した日本共産党の仁比聡平議員は「取り調べの必要で、人の人生を奪うことは絶対許されない」と、頑迷な法務省の態度を厳しく批判しました。
国連の人権(自由権)規約委員会や拷問禁止委員会は、日本の刑事捜査の現状に厳しい勧告を繰り返しています。「可視化」の実施は、国際的には当然の流れになっています。
拒む理由はない
警察や検察は、「可視化」によって「真相解明が困難になる」といいます。はたしてそうでしょうか。米国などでは、可視化の導入で捜査機関の能力が向上したとされます。被疑者を精神的、肉体的にさいなむことで自白させることに力を傾注するのではなく、証拠の収集と適正な取り調べを通じて「真相を解明する」という、刑事司法の本筋に立ち返ることができるからです。
鹿児島の志布志事件、富山の氷見事件など重大な冤罪事件が続いています。裁判員裁判も始まろうとするいま、失われた刑事司法への信頼を取り戻すためにも「可視化」をただちに実施すべきです。(2009年6月27日(土)「しんぶん赤旗」)