10日朝、「死刑のはんこを押しまして、昼のニュースのトップになるのはそういうときだけ」という葉梨法務大臣(前)の発言に心が凍りつきました。

 死刑は国家による生命の剥奪です。法は「死刑の執行は法務大臣の命令による」と定めています。大臣が生命を奪うことを命ずるのです。その重みと問われる倫理。繰り返されるえん罪。不当捜査を認めずあくまで争い続ける警察・検察権力。再審無罪への厚い壁。誤判にもとづく死刑執行。渦巻く憤りを堪えながら法務委員会に臨みました。

 岸田首相は厳重注意を官房長官に指示しただけでした。大臣は発言の撤回さえせず、逆に「一部を切り取られた」とテープ起こしの全文朗読までして、「もっといろんな仕事をしていることを知ってほしい」などと開き直りました。

 記者団に問われ大臣は「光があたるような形でトップニュースになるというのはそういうときぐらい」とのべましたが、死刑執行を「光があたる」と表現する大臣に適格性はありません。他の政治家の持ち上げのために政治資金パーティーの場で軽々しく発言するなどあり得ません。

 まともに答弁ができないまま、「外務省と法務省、票とお金に縁がない。外務副大臣になっても全然お金がもうからない。法務大臣になってもお金は集まらない、なかなか票も入らない」というくだりは「政治家の資金パーティーでのあいさつではよく言われている」「撤回しない」という大臣と議場に、「自民党というのはそういう政党なのか」と問いました。

 「経済官庁はいろいろな形で企業とのお付き合いができる。政治資金パーティーも来られる方が多い。外務省とか法務省というのは企業とのお付き合いというのはそれほどありませんし、政治資金という意味で集めづらいところはある」という大臣答弁は驚くべきものでした。語るに落ちたと言うべきです。岸田内閣の「謝罪」や「撤回」とはその程度のこと。いよいよ政権末期。大激動です。(2022年11月16日)