国の上告断念 漁民と世論が追い詰めた

 国営諌早湾干拓事業(長崎県諌早市)の潮受け堤防排水門の開門を求めた「よみがえれ!有明海訴訟」で、菅内闇は12月15日、上告を断念しました。何が政府を断念に追い詰めたのか、今後の課題は―。

 「開門で海をきれいにしようという(福岡)高裁の判断は重い」。菅直人首相は上告断念の理由をこう述べました。最初の提訴から8年。原告漁民が訴えてきたのは、まさに「宝の海」を取り戻したい、という思いです。

 長崎県島原市の漁民、中田猶喜さん(60)。漁船でクチゾコなどを取っています。「裁判の意見陳述で訴えてきた私の思いを裁判所、そして政府が受け止めてくれた。一日も早い開門の実現へ運動を強めたい」

事業先にありき

 現在の干拓事業が始まったのは1986年。それ以前の構想を含めると60年近く経過し、事業目的は「水田の造成」から「畑作農地の造成」に変わり、「防災機能の確保」が加わりました。〝事業先にありき″のムダな大型公共事業の典型です。

 漁民は「漁業ができなくなる」として事業中止を求めますが、自民党政府は事業を強行。漁民に「工事が終われば、元通り漁業ができる」「市民を守る防災のためにも事業に協力を」と迫り、補償金を渡して「同意」を取り付けました。

 長崎県雲仙市の瑞穂漁協・石田徳春組合長(73)は当時を振り返ります。「私たちの漁協は最後の最後まで反対しました。最終的に同意したのは、『市民の命を守るため』『再び漁業はできる』という国の言葉を信じたからです」

ノリが大凶作に

 しかし、実態は全く異なりました。 同漁協はタイラギ(ニ枚貝の一種)の18年連続休漁に追い込まれ、2000年には有明海一帯でノリの大凶作となりました。漁業をやめ地域を離れる人、生活苦から自ら命を絶つ漁民、出稼ぎ先の事故で亡くなる漁民が出ました。

 そのなかで、漁民のたたかいとそれを支える住民運動は広がり続けます。漁民は今年も5月と9月に堤防近くで海上デモ。排水門近くでは、支援団体が連帯集会を開き、漁民を激励しました。今年2月、瑞穂漁協が開門を決議するなどの変化も生まれました。

 民主党は昨年の総選挙のマニフェストで、「(開門など)有明海の再生に向けた取り組みを推進」するとしました。政権交代で、漁民の間で「今度こそ開門が実現する」との期待が広がりました。

 しかし、政権交代から1年以上たっても開門決定はなく、同事業を批判してきた菅氏も、首相就任から半年も決断しませんでした。

 「公約どおり一日も早く開門を」の声が広がるなか、福岡高裁判決を受けた菅政権は、ついに上告断念に追い込められたのです。(しんぶん赤旗 2010年12月17日)