○参考人(新井直樹君) 全国地域人権運動総連合事務局長の新井です。

部落差別の解消の推進に関する法律案は時代錯誤であり、部落問題に新たな障壁をつくり出すもので、断固反対の立場から意見を述べます。発言要旨についてはお手元の資料にお配りしてあります。

まず、全国人権連の成り立ちと運動の課題です。

全国地域人権運動総連合、略称全国人権連の成り立ちを説明します。

組織の前身は全国部落解放運動連合会、略称全解連と言います。一九七〇年に、部落解放同盟の暴力と利権あさりをただし、運動の正常化に向けた全国組織である部落解放同盟正常化全国連絡会議を解放同盟組織人員の三分の一を結集して発足し、一九七六年には全解連に発展的改組、国民的融合論を実践してきました。その後、全解連は、社会問題としての部落問題は基本的に解決されたとの到達点を共通認識にし、二〇〇四年四月に全国人権連に発展的転換をし、地域人権憲章を掲げ、十二年の実践が経過しています。

私が、一九七九年、部落解放運動に参画した当時は、国民的融合による部落問題の解決を基本に、新旧二つの差別主義、つまり、古い遅れた考えなどに基づく差別と、差別を利用した物取り主義による新たな差別の助長を克服することが基本でした。

また、解放同盟の推薦なしに同和対策事業が実施できない、受けられないなどの同和対策事業の私物化を排除すること、教育集会所等の指導員や講師、運営委員の解放同盟による独占をなくすこと、同和対策事業を実施するために地区指定の申請を住民、行政の合意の下に行うこと、周辺住民の理解の得られる事業の取組や考え方を行政に徹底することなどが主要な課題でした。

次に、部落問題とその解決とは何かということです。

元々、部落問題は、近代社会への移行の際に徹底した民主主義が実現せず、社会の仕組みに前近代的なものが再編成された結果、新たに生み出され残されてきた問題です。

全解連は、一九八七年三月、第十六回大会で、二十一世紀をめざす部落解放の基本方向という綱領的文書を決定しました。そこで、部落解放運動団体として初めて、部落問題、その解決された状態について四つの指標を提起しました。

一つ、部落が生活環境や労働、教育などで周辺地域との格差が是正されること、二つ目に、部落問題に対する非科学的認識や偏見に基づく言動がその地域社会で受け入れられない状況がつくり出されること、三、部落差別に関わって、部落住民の生活態度、習慣に見られる歴史的後進性が克服されること、四番目、地域社会で自由な社会的交流が進展し、連帯、融合が実現することです。

特に重要な点は、差別事象が起きてからそれを問題化して取り上げるのではなく、常日頃から部落問題に対する非科学的認識や偏見に基づく言動がその地域社会で受け入れられない、その状況を積極的につくり出していくことを打ち出した点であります。

そのための課題として、当時、一つ目には、部落解放同盟が言う、部落民以外は差別者などという部落排外主義の理論を駆逐し、私たちのいわゆる国民的融合、国民連帯の理論と政策を住民の間に積極的に普及して、正しい運動への支持と共感を広げる。二つ目には、自主、民主、合意を原則とした啓発を行う。三番目には、教育の現場で、偏向教育である解放教育、いわゆる部落民宣言を子供たちに強要する、さらには部落問題だけを社会問題で重要であると言わんばかりにそれを第一主義的に教える教育、こうした解放教育を排除して、子供の人権、教職員の人権、その権利を保障する、憲法を教育の軸にするということが必要というものです。

重ねて言いますけれども、部落問題の属性、つまり固有の性質は、封建的身分そのものではなく、封建的身分の残滓、残り物、後遺症です。部落問題は、民主主義の前進を図る国民の不断の努力を背景に、特別対策や高度経済成長とこれに起因する社会構造の変化もあって、解消に向かって大きく前進しました。そして、部落問題は、その後の我が国の企業社会、管理社会化、さらにはバブル経済の崩壊による国民一般の犠牲が強化される中においても、不可逆的に解決が進んできたものです。その結果、国民の多くが日常生活で部落問題に直面することはほとんどなくなり、新たに部落問題に関心を寄せる若い世代も急速に減少することになりましたが、この事実は部落問題解決の著しい前進とともに喜ばしいことと評価できるものです。

三つ目に、この部落差別の解消の推進に関する法律案の問題点です。

一つ、表現の自由を侵害し、糾弾を合法化する。

部落解放同盟などは、一九八五年に部落解放基本法の制定運動を始めます。法案解説文では、理由を次のように述べています。高度情報化時代を反映して、インターネットを利用した差別扇動が多発しており、教育、啓発の更なる充実強化と同時に、悪質な差別に対しては法的規制が考慮されなければなりませんと述べていました。

今回のこの法案は、かねてからの解放同盟の要求を下敷きにし、部落差別は許されないと概念規定もなしに記述しています。これは、解放同盟らの勝手な解釈を認めるものです。自らの不利益まで部落差別と捉える運動団体にとっては、言論、表現の分野のみならず、自治体での施策実施を迫る際、この文言が介入の口実を与えることになります。それは、無法で私的制裁そのものである差別糾弾の合法化に通ずるものです。これでは差別の解消ではなく、新たな人権侵害を引き起こします。

二つ目、立法事実は存在しません。

社会問題、つまり、資本の搾取、収奪が特に激しく行われるような社会集団、社会層がある場合で、社会的差別を特別な内容としている問題に部落問題が位置付けられてきました。しかし、三十三年に及ぶ同和対策事業の実施により、部落の世帯構成などに著しい変化が生じ、政府も、二〇〇二年三月末で特別対策を終結した理由の中で大きな変化を認めています。それは配付した資料の中にも記されています。

総務省大臣官房地域改善対策室が二〇〇二年三月にまとめた「同和行政史」の中で、特別対策を終了する理由を三点挙げていますが、特に三点目だけ述べます。第三は、経済成長に伴う産業構造の変化、都市化等によって大きな人口移動が起こり、同和地区においても同和関係者の転出と非同和関係者の転入が増加した、このような大規模な人口変動の状況下では、同和地区、同和関係者に対象を限定した施策を継続することは実務上困難になってきていることであるというふうに記しています。

ここで同和地区においても同和関係者の転出と非同和関係者の転入が増加と指摘している点については、いわゆる従来言われてきた部落と言われるものが部落でなくなっている状況を指しているものです。今から二十三年前の一九九三年の時点ですら、全国の同和地区の状況は、政府調査を基にした統計で推定すれば、全世帯のうちで夫婦とも同和関係者は二四・七%、夫婦いずれか一方が地区外は一五・八%、夫婦とも同和関係者でないは五九・五%となっています。いずれにしても、従来の部落の枠組みが崩壊し、部落が部落でなくなっている状況です。

いわゆる部落及び部落民は、いずれも部落の住宅・居住環境や生活実態に見られた低位性、格差の解消、部落内外の人口、世帯の転出入の増加、部落民としての帰属意識の希薄化などに伴って、今日では既に消滅及び過去の歴史的概念になりつつあり、実態として現実把握がし難いものとなってきているということであります。

よって、部落問題は、従来の社会問題としての性格を大きく変えており、変化した問題を正しく認識しないと解決の道を誤ることになります。このことからも、部落差別の定義は置かなくとも国民の誰もが一義的に理解する、歴史的経緯を踏まえたら定義しなくても一義的に明確などという発議者の答弁は実態から全く懸け離れているものです。

一方で、具体的な実害としての部落差別は、ヘイトスピーチ問題とは異なり、公然と差別言辞や行動を起こす状況にはありません。そうした行為が時として発生しても、それらの言動を許さない社会的合意が強く存在しています。また、インターネットでの匿名による陰湿な情報流通も起きたりしますが、それらも公然と支持が得られる状況にありません。

三つ目の問題点、同和特権と事業利権復活のもくろみです。

法案は、地域の実情に応じ、部落差別を解消するため、必要な教育及び啓発を行うとなっており、同和対策事業の復活につながりかねない非常に無限定な規定があります。地方自治体は同和行政を進めてきましたが、この法の規定が逆流を起こさせ、自治体や住民に混乱を招くものです。私たちは、行政が偏見を拡大している人権意識調査の問題の是正、さらに封建社会の身分制の一面を強調する義務教育段階での学習の廃止、教科書記述の見直し、これらの問題なども提起しています。

四点目の問題です。部落の固定化と旧身分の洗い出しという人権侵害を恒久的に行う問題があります。

法案は差別の実態調査を国や自治体に要請していますが、同和に関わる特別法は十四年前に既に失効し、行政上、同和地区、同和関係者という概念は消滅しています。これを復活させ、部落と部落外という人為的な垣根を法律の名で固定化させるものです。調査は、調査の名による関係住民の特定化、顕在化で差別の垣根を未来永劫残すことになります。また、かつての意見具申、啓発推進指針が問題の是正を指摘した課題も払拭し切れない下で、国民の内心に介入し、差別意識の改変を啓発や教育と称して迫ることは憲法違反であり、人権侵害甚だしき事態であり、法を盾にした強要は許されません。

終わりに、全国人権連は、部落問題の解決を図ってきた歴史的、社会的営みの到達点を政治的思惑で根底から壊すことになる部落差別固定化法案の参議院での徹底審議、廃案を求めて、意見発表を終えます。

以上です。

○委員長(秋野公造君) ありがとうございました。

次に、石川参考人にお願いいたします。石川参考人。

○参考人(石川元也君) 弁護士の石川でございます。

私は、部落差別問題を始め多くの人権問題に関わってまいりました。今年で弁護士六十年を迎えますが、部落問題にほぼ五十年近く関わってまいりました。その経験とその中で闘った裁判の結果、そして、その裁判の結果が政府機関である地域改善対策協議会、地対協の意見書に反映し、今も紹介がありました政府の啓発推進指針、そういうものになっていって、そして、とうとう平成十四年、二〇〇二年に三十三年に及ぶ同和事業が終了した、その経過の中の問題点を御紹介し、それが、今の状況をどう見るか、そして新しい法案が本当に必要なのかどうか、そういうことに対する材料を提供いたしたいと思います。

私の意見陳述の要旨、お手元にございますので見ていただきたいんですが、部落問題と同和問題、よく議論にはなりますが、実質は同じことですが、ちょっとミスがありますので訂正しますと、水平社宣言まではいわゆる特殊部落という言葉を使ってきて、それがその後、被圧迫部落あるいは被差別部落と言われ、あるいは、戦後は未解放部落、被差別部落という言い方もされましたけれど、戦争中の昭和十六年に、それまでの融和事業と言われていたのが同和奉公会という、大政翼賛会の一翼を担うんだという形で同和という言葉が使われて、戦後はずっと行政側は同和ということでやってきた。

しかし、これは、いずれにしましても、一般の集落を意味する部落、通常のといいますか、普通の部落と区別したのをどう考えて、どう解消していくかという、言葉の中でいろいろ言われてきたのでありますが、この同和事業として戦後続いてきたものも全てこの部落差別の解消を目的とするものであったということは言うまでもないことで、この同和事業の成果と弊害、到達点、問題点を見る、そのことを今日は中心にお話をしてみたいと思います。

昭和四十四年、一九六九年に同和対策特別法が十年の時限法で始まりました。この始まる少し前に大阪で矢田中学事件という問題が起こっています。これがこの糾弾の始まりであり、その後、吹田二中事件、八鹿高校事件、その他全国の高校で学校に糾弾という事象が持ち込まれた、その最初の年でありますが、昭和四十四年の矢田事件が起こって、それが裁判でどう見られたか。お配りしています「部落問題に関する基本的判例」の一番を御覧いただきたいと思います。

これ、刑事事件は一審無罪ということでありましたけれど、検事控訴の結果、二審で有罪になり、最高裁でも有罪が確定しています。

この刑事事件と民事事件の違いというものを簡単に申し上げますと、刑事事件は被害者側の告訴などによりますけど、検察官が公訴を提起し公判を維持します。そして、被告側の弁護団、被告の防御権というものがあるわけでありますけれども、被害者側は当時この裁判に一切関与する道もなかった。検察官は事実関係の立証だけでありますけれども、弁護側としてはその背景事実、正当性の主張をいろいろやる。そういう中で、裁判所の方として、有罪としても執行猶予を付すような場合には執行猶予になる理由を裁判所として挙げるわけですね。そういう中から、被告に同情的な判決がある程度出てまいります。

しかし、これから挙げます吹田二中あるいは八鹿高校事件など、刑事事件としても厳しく有罪認定されました。

矢田事件は何かというと、その年の二月に行われた組合の支部の役員選挙に立候補した中に、進学のこと、同和のこと、いろいろ重要な問題があって私たちの仕事が夜遅くまでやらなきゃならぬ、上の方から管理的な締め付けもあると、そういう中でどうして労働条件守るか、こういうことを訴えた役員の立候補の挨拶状、はがきにやった短いものが、この同和のことというのが一つ入っているのが部落差別を助長するものだ、あるいは助長するおそれがあるものだと言って、学校で勤務中の先生を連れ出して公民館に運び、十数時間にわたって暴力的な監禁をやった、これが逮捕監禁事件として刑事事件になりました。大阪市教委は、この解放同盟の言い分をそのままのみ込んで教員らを別の学校に配転し、さらに教壇に立てない、引き離すように教育研究所というところへ閉じ込めて数年もその状態が続いたのであります。

それについて民事事件の方で私たちが原告側の代理人となってやった判決がここに紹介しておるものでありますが、問題は、この市教委などが言う、同和教育の推進あるいは同和問題の解決を阻害するおそれのある文言を記載したものだと、こういうものが差別文書であると言うけれども、元々何が差別であるかということを一義的に捉えることは極めて難しいんだと。しかし、この被告側が言っておるこれがそうだということにはならない。同和教育の推進あるいは同和問題の解決を進めるについて様々な意見や理論的対立が存在することが考えられるが、特定の思想なり運動方針に固執する者が右のような差別文書の定義を採用するときは、容易に反対の意見を封ずる手段として利用され、同和教育の推進あるいは同和問題の解決に対する自由な批判、討論が不活発となり、この問題に対する開かれた自由な雰囲気がなくなって、ついにはそのような考えを持つ者の存在をも許さないことになる。

まさに自由な意見交換ができなくなるような社会であっていいのかというのがこの判決なのでありまして、先ほどちょっと紹介しました啓発推進指針が新井参考人の資料で配付されていますから、ちょっとその部分を紹介したいと思いますから御面倒でもこれを見ていただきたいと思うんですが、初めから五枚目ぐらいのところに大きい字で地域改善啓発推進指針、昭和六十二年三月の総務庁の長官官房地域改善室長の都道府県知事、政令指定都市に対する通知がありますが、これは、その次にいろいろ目次が出てくるわけでありますが、どういうもので作られたかといいますと、昭和六十一年に、それまでの同和行政の振興やそれに関する多くの裁判例が出た、これから後紹介しますが、そういう中で、これまでの同和行政を見直す必要があるということで、六十一年に地対協基本問題検討部会というものがつくられて、これは専門家、主に学者の人たちで、運動関係や役所も入らずに、専門家で基本問題検討部会がやると。これがその年の十二月に意見具申、全体協議会の意見具申となりました。

これを受けて、政府はそれまでの地域改善対策を終了させて、ごく特定の地域改善の財源を確保するという法律に変えていくんですが、その際に同和行政について根本的な見方を変える必要があるということでこれを出したものなんです。

その基になった基本問題検討部会報告書の中でどういうことが言われているかということをちょっと紹介いたしますと、こういうことを今の判例を引用しながら言っている。判例の名前は書きませんが、検討部会報告書の中で、差別行為のうち、侮辱する意図が明らかな場合は別としても、本来的には何が差別かというのは一義的かつ明確に判断することは難しいものである、民間運動団体が特定の主観的立場から恣意的にその判断を行うことは、異なった意見を封ずる手段として利用され、結果として異なった理論や思想を持った人々の存在を許さない独善的な閉鎖的な状況を招来しかねないことは判例の指摘するところであると。この判例の指摘するというふうに地対協意見が言ったのが、今言った矢田事件の大阪地裁の判決なのであります。

そしてまた、この同じような学校への糾弾事件は、次の、この判例の二ページの三番目の吹田二中事件というものを見ていただきたいんですが、これは矢田事件の二年後の昭和四十七年、三年になりますか、八鹿高校事件の二年前に起こった、起こされた事件でありますけど、これは解同、解放同盟の支部の推薦を受けて、支部の指導に従いますという一札を入れて教育委員会から採用をされたという極めて教員採用に関わる不可解な事案でありますが、その女教師が実際に勤務に就いてみると、解放同盟の言われるような形で学校の授業をやっていくわけにはいかないということで、それから離れるということを、それを支持する教員も出てきました。そうすると、学校へ押しかけて、これらの教員を罷免しろと、辞めさせろということで学校へ二週間にわたって大量動員をして授業ができなくなる、こういうふうな事件があり、その中で、教師に対する暴力事件は刑事事件として起訴され、有罪になりました。その教員たちを、同じ吹田市内ですけど、別の学校へ不当に配転したということで、その配転取消しの訴訟が大阪高裁の判決で認められました。

この判決の中身をちょっと読んでみますと、解同支部が公的な場所、しかも中学生の教育現場に二週間も大量動員をして糾弾闘争をし、生徒を巻き込み教育現場に大混乱を発生させた、これは現行の法秩序から見れば暴挙と言うべきである、市教委及び校長は毅然として支部に学校からの退去を求め厳重に抗議すべきであった、抗議が聞かれないときは秩序回復のため警察力の導入も要請すべきであったというふうに、学校秩序に対する侵害という事態についての裁判所の判断を示しました。

ついでに言いますと、最高裁は、同一市内の配転というものは教職員の裁判で訴える利益はない、法的利益はないから却下せざるを得ない、しかし、この却下の判決であるのに、二審の判決の事実認定を延々と援用して、そして、その後ろに、原判決がこういうふうに判断したことは首肯できないでもない、つまりそれは是認することができる。つまり、最高裁として、当時この矢田事件、吹田二中事件がいずれも最高裁へかかって、同じ部にかかって判決が一週間後になされました。当時、私どもは、調査官に早く判決をと要請している中で、最高裁として同和問題について座りのいい判決を今考えておられるということを漏らされたことがあります。つまり、最高裁も却下の判決だけしたのでは、この事案の問題点について判断をしないことになる、だから二審の判決をということであります。

かなり時間をオーバーしてしまいました。簡潔に、結論になります。

八鹿高校事件については、皆さん既にこの委員会審議の中で紹介されているというので、まとめますが、民事の判決では、この学校が解放研、解放同盟が指導する学内の研究会を置くというようなことは、教育上それは許されないのは当然だということを言っております。

そういうふうなこれらの事件を受けて、啓発推進指針に至る地対協の基本問題検討部会やあるいは地対協の意見書において、教育現場におけるそれはもちろん、新たな部落問題の解決に障害が生じた、それは民間運動団体の著しい介入が行政の主体性を奪ったということを言っています。

あと、私のメモの方に戻りまして、簡潔にあと二分ぐらいで終わりにします。

○委員長(秋野公造君) 石川参考人に申し上げます。時間が過ぎておりますので、御意見をおまとめください。

○参考人(石川元也君) はい、まとめます。

だから、一番そういうことを言って、最後に、平成十四年に解消したときに、行政の施策は、本来、全国民に受益が及ぶように講ぜられるべきものだ、私はここが非常に大事なところだと思うんですが、部落出身ということで特別な受益をやるような法律は全く例外的にこの当時の時限法であったけれど、今後についてはこういうことをするものでないということを国として明確にした、そのことからいって今回の立法についてその必要性はない。その理由について述べる時間がなくなりましたので、これで一応意見を終えておきます。

どうも失礼いたしました。

 

 

○仁比聡平君 日本共産党の仁比聡平でございます。

先ほど来の指摘があっている問題点にも関わって、まず部落解放同盟の西島参考人にお尋ねをしたいと思うんですが、差別をどう捉えるのかという問題について、部落解放同盟綱領、二〇一一年の綱領に関わる解説のための基本文書を拝見をしますと、社会意識としての部落民に対する差別観念として、「自己が意識するとしないとにかかわらず、客観的には空気を吸うように一般大衆の意識のなかに入り込んでいる」という規定がここにもなおあるわけです。部落民以外は全て差別者だとかつておっしゃっていました。今もそうおっしゃるのかもしれません。その差別の有無やあるいは本質を、だから被差別者、つまり解同が確認し、その人間性を変革するとして糾弾をするということがエスカレートして深刻な事態をもたらした。

これは、さきの質問で、民間運動団体の行き過ぎた言動等によって行政の主体性の欠如あるいはえせ同和行為の横行が見られるという指摘は私の指摘のとおり、このような問題が差別意識の解消を阻害し、また新たな差別意識を生む要因となり得るという点については現在も変わらないものと承知をしているというのが法務大臣の答弁なんですけれども、その確認・糾弾について、この基本的考え方には、狭山差別裁判などの部落差別事件や差別実態に対する糾弾の取組を堅持し、糾弾の社会的正当性の確保と定着を図ることということが今後の部落解放運動の基本課題の第一に掲げられているわけです。

この確認・糾弾の考え方というのは、これは変わらないわけですか。

○参考人(西島藤彦君) いつの時代の資料で言われているのか私は分かりませんけれども、部落民以外は差別者だということは、少なくとも私が同盟の責任者の今の段階で言うならば、そんな議論はありません。

例えば、奈良の事例を出します。奈良は、差別、被差別、両側から越える、お互いに差別、被差別の関係を両側から越えながら、その垣根をよりより低くしながら差別撤廃の取組をしていこうという運動が始まっています。

もちろん、今も我々のところには様々な差別事件の情報が寄せられます。その差別事件に対しては、限りなく公開性、説得性、そういうものを持ちながら進めていきたい、またそういうふうに私も責任者として進めてきているところであります。

先ほど、いろんな事件の事例が出ました。正直言いますと、もう五十年ほど前の話を、私もまだ子供の時代の話です。聞き及んでおります。聞き及んでおりますけれども、それが今現にあるかのごとくの議論というのは、非常に時代がもう一気に五十年ほど飛んでいるのではないかという思いを持ちますし、その空気を吸うようにとか、部落民以外は全て差別者という議論は、今全くありません。

○仁比聡平君 五十年も遡らなくても、二〇〇六年の二月に、部落解放同盟中央本部が他の二団体の方々とともに国連の特別報告者に回答した文書があるんですが、今申し上げている糾弾闘争について、先ほど石川参考人が指摘をしておられる、あるいは基本判例として紹介をしておられる数々の判例がありますけれども、これらの裁判では、①差別の存在は認めた、②差別が受けた者が差別した者に対して抗議行動を展開し反省を求めることも認めた、が、③実力を行使した面は有罪として運動側が裁かれたという報告をしておられるようで、つまり実力、暴力というものを行使しない限りは、この判決、諸判例、これに基づいて到達した例えば地対協の意見具申など、この指摘について、どうもそのまま受け入れているとは思えない記述なんですが、御認識はいかがでしょう。

○参考人(西島藤彦君) 例えば差別事件が起こったとしましょう。差別された側がそれを何ら抗議もなく受け入れるということはないと思います。もちろん、その痛みに対して強い怒りでもって相手に抗議するでしょう。様々な抗議の方法はあると思いますけれども、何ら抗議をしないということはないわけです。ただ、そこでは、我々は組織の責任者として、限りなく公開性、説得性、そして第三者も含めた立会いの中での公開性、こういうところを指導してきておりますから、少なくとも私が見ている限りにおいてはそういう事例はないというふうに思っております。

○仁比聡平君 別のテーマで、この法案の、部落差別を許さないとされるんだがその部落差別の定義規定がないということに関わって、提案者が、部落の出身であることによる差別である意味において一義的に明確であり、それは行政にとってもそうであるはずだという答弁を繰り返しておられるのは御存じのとおりなんですが、これは部落解放同盟の二〇一一年に規定されている部落民という規定と同じ意味ではないですかという私は提起をしてきました。

この部落民という規定について、この綱領解説のための基本文書に、「われわれは、被差別部落に現在居住している人を「部落住民」、被差別部落にかつて居住していた人を「部落出身者」と呼称する。」というふうに規定されているんですが、この出身という考え方がどこまでのことを意味をしておられるのか、部落解放同盟としての御理解を伺いたいんです。つまり、今住んでいるというのは居住者なわけですよね。となると、生まれ育って過去住んでいたとか、一度も住んだことがないんだけれども親がその地域に過去住んでいたとか、あるいはおじいちゃんやおばあちゃんがその地域に住んでいたことがあるとか、更に遡って何代前までとか、その本籍だとかあるいは血縁だとかをたどるようなことになりはしませんか。

○参考人(西島藤彦君) 私どもがそういうことを相手に求めているのではなしに、先ほど報告したように、社会が身元調査の中で例えば遡って調べているわけです、社会が。我々は、それは綱領でありますから、同盟員とかそういう会員になるに当たってそういう一定の基準を作っているわけですけれども、社会が、遡って部落出身をそこにカウントする社会の存在があるから問題なんです。

差別事件を、先ほど京都市の事例も出しましたけれども、本人は部落から出ている、そして親から自分が出身者も教えられていない。しかし、その別れた父親が同和地区出身ということを調べながら暴いて、あんたは部落民だということで差別されているわけです。もっと言うなら、あんたのおじいちゃん、おばあちゃんはかつて同和地区に住んだ人なんだからあなたも部落民だということを社会が騒いで差別の対象にしているわけです。そこを今問題にしているんです、我々は。

○仁比聡平君 今そういうお話だと、実態調査を考える上でも、そうした対象地域の住民であることと様々な現象との関係というようなことが問われてきてしまうのかなというふうにも思うんですけれども、ちょっとその辺りは後で議論させていただくとして。

自由同和会の関係で灘本参考人に今の点をお尋ねしたいんですが、二〇一一年の自由同和会の運動方針を拝見しますと、今私が申し上げた点について、つまり部落解放同盟が部落民呼称を大会で決めたことについて、このことは同和地区の固定化と同和地区内住民を混乱させるとともに分断化につながる、また、同和地区以外に住む人たちにまで部落民とのレッテルを貼ることは大きなお世話である、今回の決定は被差別部落の解放とは逆行し、融和を妨げるものであり、単に運動側の都合だけであると言わざるを得ないといった認識を示しておられると思うんですけれども、これはどういうお考えかということと、それから、部落の出身者であることによる差別という言葉が、法案の提案者が言うように一義的に明確なのかという点についてはどんなお考えでしょうか。

○参考人(灘本昌久君) 済みません、私は直接的に自由同和会のメンバーではないので、その二〇一一年のときの自由同和会からの批判についてちょっと詳しく今解説する立場にはないんですけれども、私がいろいろ研究している過程で考えることは、昔は、部落民であるか部落民でないかというのは割とみんなの意識の中で截然と分かれているわけなんですね。ある一人の人間を取ってきて、この人は部落民であるのかないのかということは、さあ、どっちやろうということはまあ少なくて、一九七〇年ぐらいでしたら、部落出身でありますとか、そうではありませんというのはもうはっきりしていた時代があったんですね。だけれども、一九八〇年、九〇年代になってきますと、特に例えば小学生なんかで日常的に差別されるようなことがなくなってきますと、部落に生まれ育っていても、自分が部落出身であるとか同和地区民であるとかというアイデンティティーはもうない状態でずっと育ってくるわけなんですね。

ですから、私が一九九〇年頃に書いたり話したりしたことの中で、これからはそういう部落民であるかないかということをはっきり分けた状態を前提にした運動というのはもう成り立たない時代が来ていますよということは前々から言っていまして、だから今、解放同盟が幾ら一生懸命部落民の定義を頑張って作っても、やっぱりどこかに外れてくるところがあって、だから部落民であるかないかという定義はもうそろそろ必要がないんじゃないかなというふうに今は考えています。

ちょっと質問のことに対する直接的答えではないと思うんですけれども。

○仁比聡平君 ちょっと残り時間少なくなって、一問だけ聞いておきたいのは、実態調査の中で、先ほど来話題になる意識調査というのがあります。

現に、大分県の宇佐市でこの間行われてきた意識調査の一つの問いだけ御紹介しますけれども、封建時代に制度としてあった被差別地区はどのような起源でできたと思いますかという問いに対して選択肢が挙げられているんですが、ア、民衆を支配するための手段として政治的につくられた、イ、人種が違う人々の集まり、ウ、宗教が違う人々の集まり、エ、特別な職業に就いていた人々の集まり、オ、昔から言い伝えられていた、カ、戦に負けた人々の集まり、キ、分からないと。

こうした項目での意識調査を今行うということについて必要と考えるか、それとも何らかの御意見があるか、西島参考人、灘本参考人、新井参考人、それぞれ端的に伺いたいと思います。

○参考人(西島藤彦君) ちょっと一面的、そのことだけ切り取ってはちょっと私も答えられない。

少なくとも、いろんな手法の意識調査の取組がありますので、先ほど有田議員の方からもあったように、私も鳥取や新潟や愛知の情報を持っておりますけれども、そういう選択肢やなしに自分で書く方法もありますからね。だから、今のその問いに対してはちょっとコメントできません。

○参考人(灘本昌久君) 今の質問というのは昔々よく、はやってやった質問で、正解は、政治的な都合によって人民を分断支配するためにつくったんだというのに丸というのが正解だったんですけど、現在の部落の歴史研究ではそういうことによってできたのではないということがもう主流になっておりますので、そもそも今のその選択肢の中でちょっと正解というのは見当たらないわけなんですね。そこを強いて聞く必要はないし、多分、これから先、そういう意識調査をするときに、今の設問というのが使われることはちょっと考えづらいように私は思いますけれども。

○参考人(新井直樹君) 同和対策事業をやっていた時代には、同和対策事業を円滑に進めるために周辺住民の人たちの協力が必要で、そのための啓発を行うと。それにはそういう、人々がどういうところに問題関心とか偏見を持っているのかというのを調べる上では必要な調査であったと思います。ですから、それはもう二〇〇二年三月で終わるべき内容の項目であって、今日は有害でしかない設問だと思います。

それから、意識調査というのが人権施策を進めるための、いわゆる住民がどこに問題関心を持っていてというのを知るための調査であるのならいいんですが、差別意識をそこから拾い出そうとしている今の行政上のやり方は、やっぱり問題があるから即刻やめるべきだというふうに思っています。

○仁比聡平君 終わりますが、今の宇佐市の調査というのは平成二十五年に行われているものです。

終わります。

 

 

 

○仁比聡平君 先ほど有田議員の質問の中で、部落問題の解決というのがどんな今到達点にあるのかという議論があったと思うんですけれども、新井参考人は冒頭の意見陳述で、従来の部落の枠組みが崩壊し、部落が部落でなくなっている状況である、今日では既に消滅及び過去の歴史的概念になりつつあり、実態として現実把握がし難いものとなってきている、よって、部落問題は従来の社会問題としての性格を大きく変えており、変化した問題を正しく認識しないと解決の道を誤るという御趣旨の意見を述べられたわけです。

それを前提に灘本参考人にお尋ねしたいと思うんですけれども、八月かと思うんですが、自由同和会の京都でのシンポジウムが開かれておりまして、灘本参考人とそれから平河事務局長がパネラーとして意見交換をしておられますけれども、ここでその平河事務局長の述べた部分として、一部団体が部落差別はいまだに根深く厳しいという表現をしますけれども、本当はそうではない、それを示している数字として、先ほども少しお触れになりましたけれども、二十代の若者が結婚する場合、約八割、灘本先生は九割と言われているそうですが、八割以上が部落以外のいわゆる一般の方と結婚し、その八割の中の七割までが結婚に際して全く反対がなかったという数字、それから、混住率ですけれども、今や同和地区の中にいる同和関係者は僅か四割であって、あとの六割は一般の方が入ってきている、このくらい同和問題は解決に近づいており、やはり一番重要な問題は混住率なんだがと、そういった趣旨を述べておられる部分があるんですけど、これは平河事務局長がということなんですが。

灘本参考人のこの部落問題の今の到達点というのはどんな状態にあるというお考えでしょうか。

○参考人(灘本昌久君) 私は、諸外国のいろんな被差別グループに対する差別をなくす施策がいろいろあるわけですけれども、そういう中では日本は非常にうまくなくしてきているんじゃないかと思います。

ですから、先ほど来言われている西島さんの現状認識はちょっと差別の過大評価だと思いますし、新井さんが言われている、ほとんどなくなっているからもういいんじゃないかというのはちょっと過小評価じゃないかなという気を持っております。

○仁比聡平君 そのシンポジウムで、私が先ほど伺った、本法案について定義がない、部落差別の定義がないという問題について、自由同和会の平河事務局長が、この定義がないことについて一番メリットがあるのは運動団体なんですと、あれも差別、これも差別だと言っておけばいいわけで、定義があればこれ以外は部落差別にならないわけですから、だから、定義がないから何でもかんでも運動団体は差別にしてしまうんです、これはこの法律の一番怖いところ。解放同盟は、恐らくこれも部落差別だからこれを解消するためにこれをやれというような要求を地方公共団体に言っていく可能性は僕は非常に高いと思っていますと述べておられるんですが、これはかつて自由同和会の運動方針などにも、先ほどもその一部は触れましたけれども、そうした認識というのはこれまでも示しておられるのではないかと思うんですが、参考人はどんなお考えでしょうか。

○参考人(灘本昌久君) この法律によっていろんなことを差別と言い立てる人が出てくるんじゃないかという危険性があるかないかということですかね。

私は、いや、この法律ができるという話を最初に聞いたときに非常にそういう危惧を持ったことは事実ですが、この法案を見ると、何かよこしまな人が入ってきてあれもこれも差別だと言い立てて、何か利権を昔のように貪るようなことは到底不可能な程度のと言ったらちょっと申し訳ないですけれども、そういう法律じゃないかなとは思うんですね。だから、それほど何かおいしいことは何も書いていないんじゃないかというので、そういう危惧は私は法案を読む限りは払拭しましたけれども。

それと、定義の話なんですが、同和対策事業特別措置法の中にもそんなに同和問題の定義というのは書いてあるわけじゃなくて、歴史的、社会的理由により安定成長を阻害されている地域を同和地区というという、何か何を定義しているのか分からぬような定義ではあるんですね、同和対策事業特別措置法も。ただ、余りこの法律に関して定義がきっちりしているからいいとか定義がきっちりしていないから危険だということは、私は特に感じないんですけれどもね。

○仁比聡平君 定義の規定が曖昧であれば極めて危険ということになり、それがこの差別の問題を法律で考えるときに極めて重大な争点になると私は思うんですけれども、今回の法案についてはその定義規定がそもそも全くない。

部落差別とは何かと聞かれると、発議者が、部落の出身であることによる差別であって、これは一義的、明確であると、我々は肌で分かっているという答弁を繰り返しておられるわけですが、提案者の答弁の中には、この部落差別に当たるか否かは個別の事象によって判断をするという答弁をしている部分もあるんです。つまり、判定の基準が示されていないんだが判定されるということを述べている部分もあるんですけれども。

質問をちょっとさせていただきたいのは、灘本参考人にまず、一義的に明確かと、つまり部落の出身であることによる差別という提案者の答弁は、これは一義的に明確なんでしょうか。

○参考人(灘本昌久君) 何かそれは同義反復のようには思いますけれども。

でも、先ほどから言っていますように、同和対策事業特別措置法でも何か規定しているようで規定していないということもありますし、それから、今回の法律は特に何かを取り締まるような法律ではないので、啓発したり相談したりするという程度の話ですから、同和問題の定義がそんなに厳密に範囲を確定していなくても、それほど何か私は危なっかしい感じはしなかったんですけど、それは甘いでしょうか。

○仁比聡平君 今の点、西島参考人は、一義的に明確だという発議者の答弁についてどう思われますか。

○参考人(西島藤彦君) 私は、目的で十分その思いは達しているというふうに思うんですけれども、最初の目的で。先ほど灘本さんが言われたように、我々の部落民という理解と社会の理解は少なくともイコールではありませんしね。先ほど言ったように、どんどんどんどん社会の中でやっぱり広がっていっているんですよ、部落民の定義を、定義というのは部落民という対象を、過去まで遡って。

だから、そこにそんなに重きを置く私は必要もないし、あえてここは理念法で、部落差別を許さないという決意を国が国民と共有していこうということの法律でありますから、私はそこに重大な大きな評価をしているところです。

○仁比聡平君 部落民という定義をむしろ社会の側がどんどん広げていると。つまり、出自をどんどんたどって差別を広げているという御趣旨なんだと思うんですよね。

そうした理解に立つと、例えば実態調査に当たって、私も大阪府が今年の一月に出している報告をせんだっての委員会で紹介をしたんですけれども、対象地域に見られる生活実態の課題が部落差別に基づくものなのかどうかということを把握をしようとすれば、対象地域の住民を対象にして調査対象を抽出するとともに、その調査の対象になる方々に対して、居住地が対象地域である、つまり旧同和地区であるということをはっきり示した上で、その出身者であることの自覚がありますかと、自己認識あるいはアイデンティティーがありますかと、そのことによって被差別体験を受けたことがありますか、それが生活実態の上での幾つかの課題と関連があると思いますかと、そうした調査をしないといけなくなってしまうと。けれども、そんなことはできないというのが大阪府の担当課の見解なんですが、これは、西島参考人は、部落の出身であることの差別ということを実態調査をしていこうとすると、今私が申し上げたような調査を望むというか、そういうふうに求めるということになりませんか。

○参考人(西島藤彦君) 今回のこの法案ではそこまで書かれておりませんので、我々としては、先ほどから出ているような事業をやる効果測定を図っていく。例えば、社会の意識がどう変わっていったのか。現に、人権教育・人権啓発推進法というのがありますから、様々な人権課題が事業化されておりますし、それの効果測定を図っていくということで先ほどの意識調査もやられているのではないかというふうに見ているところです。

だから、そういうところでやられるのかなというまだ見方しか今できていません、今段階では。

○仁比聡平君 灘本参考人、新井参考人にちょっと関連してお尋ねしたいんですけれども、実態調査の中身については、これは判定の体制とか評価の体制なども含めて、あるいは施策にどうやって生かしていく仕組みにするのかということも含めて法案には一切書いていないし、繰り返し問うても提案者はお答えにならないんですけれども、その際にこの実態調査が今私が懸念しているようなものにならないという保証は私ないんじゃないかと思うんですが、仮になったときに灘本参考人はどうお考えになりますか。

○参考人(灘本昌久君) その調査すること自体が同和問題解消に障害になるようなことが起こるんじゃないかということですか。というか、私は、本当に同和地区に対する例えば悉皆調査というか、もう全世帯に調査員を入れて相当細かい調査をするというのは、多分実際には無理だと思うんですね。あれは、地域に隣保館というちゃんとセンターがあって、そこに長年勤めた行政マンがいて、地域の人の、何というか、日頃の付き合いもあり信頼関係もあって初めてできる調査なので、それが一九九三年段階でももう相当難しかったですから、そういう行政施策が切れてもう長いことたっていて、そんな地域に根差した行政マンがいない状況で何か同和地区の調査をするというのは、やったとしても割と簡単な調査しかできないんじゃないかなと思うんですね。そんなに、おお、すごい、よく分かるという調査もできそうにないし、逆に、こんな調査をしたからすごく地域の中が何か混乱したり、同和問題解消に悪影響を与えるというようなことができるとも思わないんですけれども。

○仁比聡平君 新井参考人は、この実態調査の危険性あるいは懸念についてどんなお考えでしょうか。

○参考人(新井直樹君) 基本的にはやるべきではない、やるべきではないという考えです。

法律をもって行うことが、例えば人権のくくりの調査で人権擁護の調査というのもありますけれども、これは部落差別に関わっての実態調査です。実態調査の中には意識調査も当然含むものと思われます。そうすると、これを五年で終わらすんじゃなくてずっとやっていくんだということになれば、いわゆる特定の地域とそこに住む人をずっと特定していかなければこの調査は成り立たない。そうすると、先ほど来言っているように、もう部落は部落でなくなったと二〇〇二年三月の段階でも政府は言っているし、一九九三年の調査でも明らかになっていると。にもかかわらず、それを前提にしてその部落の実態調査をやるんだというんですから、部落の調査じゃないんですよ、やった結果も含むやり方も問題になるけれども。

だから、それを基にその自治体が施策を何らかやるということになったらば、やはり、何というか、大きな混乱を生じるだけのことになって、何ら住民の幸福実現にもつながらない、人権侵害になるものだから、やらない方がいいです。法律も必要ないと、そういうことです。

○仁比聡平君 今の実態調査の御意見を伺った上で、それをどう生かすのかという問題についてお三方の御意見を伺いたいんですが。

つまり、実態調査というのは、法律上も、部落差別解消の施策に資するものとして行うんだと、国の責務、地方の協力を求めるというふうになっているわけですよね。ということは、その実態調査は何のためにやるのかということが問題になってくるわけですけれども。

部落解放・人権研究所の所長の谷川さんという方が、最近、この法案との関係で、法案が成立すればまず重要になってくるのが実態調査であるという認識と、それから、理念法である部落差別解消法の不十分さを補うためにも、部落差別の定義、差別被害の救済、実態調査の実施、審議会の設置などを盛り込んだ部落差別解消条例の制定運動に取り組むべきだというふうにお書きになっているものがあると思うんです。つまり、各自治体に部落差別解消条例を実現をせよという、こういう求めていく運動が次に必要だとおっしゃっているように思うんですが、西島参考人はいかがでしょう。

○参考人(西島藤彦君) 我々本部の中では、そんな考えは今はありません。

私の理解では、この実態調査というのは、今までやられてきた人権に関わる事業や、また今後やる事業に対する効果が上がっているのか上がっていないのか、そういうところにさした実態調査項目かなと、このように理解しています。

○仁比聡平君 昨年の二〇一五年の七月ですけれども、部落解放同盟が部落解放行政を確立するための基本要求書という要求の全国的な取組をされていると思うんですね。その中では、一九六五年の同対審答申や九六年の地対協文書などを基にして同和行政の拡大が要求されていると思うんです。保育所、幼稚園、小中学校までの同和教育のカリキュラム化あるいは市の職員の研修の強化、民間の医療や介護関係者の同和教育の推進、あるいは対象地区の農林水産業への助成措置、漁業から離れる者、離農者の報奨金の制度、部落中小零細企業への助成、あるいは同和加配の教員の増員と特別昇給、研究校や研究団体への補助金の拡大、ほかにもたくさんあるんですけど、例えばそういうような項目の要求が出されていると思うんですよ。──どうぞ。認識をお伺いします。

○参考人(西島藤彦君) それは、私、承知していません。そういう要求書は聞いていません。

かつて、もう大分かなり古い前の話のようにしか今は聞こえなかったんですけど、その要求書というのは、特措法時代の。

○仁比聡平君 いや、二〇一五年の七月、宇佐市に提出をされた要求書で全国で行われているというふうに理解をされ……

〔参考人西島藤彦君「全国で行われていないでしょう。全国で行われていません」と述ぶ〕

○仁比聡平君 今の参考人の御発言はそれ自体大事なことですから記録にとどめるとともに、宇佐市はこの全面的な受入れを表明したというふうに言われている。

そうした中で、この実態調査を踏まえた今後の問題について西島参考人が、プライム事件に関わってだったと思いますけれども、今現状、名誉毀損、損害賠償でしかできないという現行法についての限界のような認識をお示しになったんですね。それから、相談体制として、人権擁護委員の言わば研修が必要であるという認識もありました。

この法案によって、法的な根拠、つまり名誉毀損による損害賠償以外の何かがどうにかなるのか、それから、研修ということで、どんな内容の研修を誰が行うことが必要だと考えているのか、お聞かせ願えますか。

○参考人(西島藤彦君) 研修の、研修は誰かとかそういうものは、まだ現実にこれ具体化されていない話でありますから、我々はちょっと理解できないですね、どうしていくとかいうのは。

○仁比聡平君 先ほど灘本参考人も、研修が増えるんじゃないかと、あるいはその程度でしょうということなんだけれども、これ誰にでもできるものではないというお話もありました。

実際、かつての確認・糾弾の中で、企業だとか自治体だとか、あるいは教員だとかいうことに、その特定の特異な理解の研修というのが強要されていったという歴史はこれはあると思うんですけれども、これは灘本参考人はどんなふうに研修が拡充されるという御理解ですか。

○参考人(灘本昌久君) この法律が通ったことによって、そういう部落問題の研修がどう変わっていくかということですか。いや、今でも相当人手不足なので、これができたからといって、そんなに今までやっていないところにがんがんと研修の機会が増えるということは、物理的にそもそも無理じゃないかと思うんですね。

さっきちょっと申し上げたように、現在は随分ともう、例えば一つの小学校を取ったときに、昔は時々やっていたけれども最近は例えば数年間やっていないというような小学校があったとすると、まあ四、五年に一回ぐらい教員に研修の機会ができるという程度じゃないかなとは思いますけれども。

○仁比聡平君 結局、今お尋ねしている、差別の定義もない、どんな事業といいますか施策になっていくのかという基本的な概念も法案の中にないという下で、本当に大丈夫ですかと委員会の皆さんに申し上げたいと思うんですが。

最後、石川参考人にお尋ねしたいと思うんですけれども、石川参考人の御意見の要旨の中に、相談事業について、部落問題だけ特別相談事業とすべきでないというくだりがありまして、大阪府下では、人権協会(同和推進団体の名称替え)に不当に委託する例もというくだりがあるんですけれども、これも含めて、相談や、それから研修、あるいは啓発、教育というものに対してどのような問題意識を我々国会議員がちゃんと持っておくべきかということについて御意見を伺いたいと思います。

○参考人(石川元也君) 相談事業というのは、今現に各自治体で生活相談あるいは人権侵害相談というのは全部やっているんですね。そのことが先ほど来の話に、法務局と人権擁護委員と、この二つだけ言っておられるけれど、実際には自治体でやっておる。大阪府下の相談事業のそれを言いますと、大阪府からかなりの助成金が出て、各市町村が市民サービスの一つとして人権、福祉、生活相談、いろんな名前で各市役所の、市内何か所かに相談所を設定して職員を配置しています。その中でこの問題だって十分できることなんです。

ただ、大阪で問題のある都市が幾つかありまして、人権協会の名の下に、元は同和事業促進協議会、同促協という名前がそのまま人権協会に名前を変えて、若干の官側、つまり市の人たちもメンバー入っていますけど、専従職員を解放同盟の役員などがやって、そこへかなりの委託料を出してやっている。実際、監査請求などこの間もありましたが、それは、窓口聞いて、市役所の方へまた通報して、結局、市役所の職員が後の処理をするというような、こういう実体のない相談事業というのが結構あって、そして委託料だけ頂戴するというふうな、そういうのは不当な公金支出に当たるじゃないかというような形になったのもあるんです。これは全部の市がそうだというわけじゃありませんが、幾つかの市で実質同和の復活と言われるようなのが行われているところがあるということを申し上げていますね。

あと、啓発とか研修ですけど、研修といってもいろいろある。先ほど仁比議員が言われた企業への研修というのは、部落差別があるといって企業に研修を強要するんですよね。これは、いわゆる自主的な研修じゃなくて、社員教育と称して解放同盟の役員の人たちが社内の教育をやって自分たちの考えをやる。それで、企業の方はそれを、承りました、今後はしませんと言って一定の示談金を出すとか、そういうような研修もありますから。研修の名前で、灘本先生の言われるのは教員に対する研修のことを言っておられるけど、いろんなのがある。

一般市民に対する社会啓発としての研修とか何かになると、本当に行政が内心に踏み込むような研修というか啓発をやっていいかどうかという問題ありますから、その在り方については非常に検討を要する、こういうふうに思います。しかし、全体として、部落差別解消の道へ進むために人権の考え方が広く市民、国民の中に広がる、その中に部落差別の問題もあるだろうと思うんです。

ちょっと、一つだけ私、落としていたので、この機会に補充させてもらいますが、部落差別の定義も大事ですが、私が一番言いたいのは、何が部落差別に当たるかという、その判断ですね。私が紹介した判決例は皆、裁判所では部落差別に当たらぬという結論が出ているのにかかわらず、当時は、これは部落差別なんだという解放同盟の主観的、恣意的な判断というものがやられた。そこに今後も同じ問題が起こると。

だから、何が部落差別に当たるかという判断が誰がやり、どうやるのかという辺りを十分、委員の先生方、お考えいただきたい。それが五十年前の事件だと、こういうことにはならないし、先ほどの有田議員の質問に、その事件の総括どうかと言われても総括の直接のお答えがないように、やっぱりかつての判断の独占、それがもたらす弊害というのは今後に続きかねないという危惧を申し上げておきたいと思います。

○仁比聡平君 時間がもう超えてしまっているんです。終わるほかないとは思うんですけれども、先ほどの指摘に対して、もし西島参考人に、御意見があれば、伺わないのも不公平かなと思います。もう後は委員長にお任せします。──なら結構です。