「茨城から歩いてきた人も、自殺しようとして警察官に保護され連れてこられた人もいます。みんな生きようとしています。生きようとする人たちを支えられる社会でなければ何の意味があるのですか」「私たちは年末年始、命をつないできました。次はあなた方の番です」―。派遣村」の湯浅誠さんたちの言葉で国会は新春を迎えた。

 構造改革とカジノ資本主義によってもたらされた日本経済のゆがみともろさが噴き出し、破たんし、見通しを失って漂流するなかで、麻生政権は「路頭に迷う」ということの絶望や苦しみさえ理解せず、これまでの路線にしがみつき政権の延命にきゅうきゅうとしている。歴史的な総選挙をたたかうこの年頭にあたって、私は、凶暴な現実に立ち向かい続ける心をさらに鍛え、自民党政治に代わる「国民こそ主人公」の民主的政権の時代への本格的な挑戦を誓いたいと思う。

 リーマン・ショック後、大失業と大倒産の嵐がはじまるなか、共産党の支部は自動車や電機をはじめ各地の工場で派遣や期間工と草の根でつながり、そのたたかいを支えてきた。マツダの共産党委員会は、早くから派遣労働者の寮を訪ねて声を集め、十一月初めに「雇い止め・下請け一一〇番」を設けたが、そこには派遣切りされた当事者からの訴えが相次いでいる。

 私は、寮からの追い出しが切迫する四十八歳の男性の「出身は佐賀だが、地元に仕事も身寄りもなくなり派遣で来た。九月から手取りが十万円もなく、米とミカンだけで二十㌔もやせた」という訴えに、突き上げる憤りを抑えることができなかった。

 「職も住まいも失おうとする先の全く見えない状況のなかで、帰れるあてのないふるさとのミカンの皮をむく労働者の気持ちが、総理、あなたに分かるのか」―正面から迫った私の質問に大きな反響をいただいたが、それは人を孤立させ人間性すら奪おうとする巨大資本への反撃の怒りと、党の草の根のたたかいへの反響にほかならない。

 連帯と挑戦の年。全力をふりしぼってたたかう決意である。(2009年1月7日しんぶん赤旗九州・沖縄面)