伊波洋一宜野湾市長と対談=2009.12.2

仁比「国民の力が政治を動かす」
伊波「普天間基地撤去の年に」


信条と抱負

 夏の参院選で、西日本17県を活動地域にして再選めざす日本共産党の仁比そうへい参院議員・比例候補が、沖縄県宜野湾市の伊波洋一市長と同市内で新春対談しました。話題は、国政の大焦点・宜野湾市のど真ん中に居座る米軍普天間基地の撤去から、政治家としての原点や新年にかける抱負まで、熱い議論になりました。

仁比 辺野古への新基地建設や県内移設に反対する「11・8県民大会」以来の再会ですね。

伊波 そうですね。

仁比 ことし夏の参議院選挙で2期日に挑戦します。そこで、「赤旗」紙上での新春対談をと相談がありまして、実は、ぜひ伊波市長に、と私からお願いしたのです。お忙しいところ、本当にありがとうございます。

伊波 ありがとうございます。光栄です。

―新年にあたり、両氏に「座右の銘」を色紙に書いてもらいました。

仁比 「生きべくんば民衆とともに」と書きました。「死すべくんば民衆のために」と続きます。自由法曹団の創立メンバー、布施辰治という弁護士が残した言葉です。戦前治安維持法のもとで、小作争議、労働争議、朝鮮独立連動への弾圧とたたかった人です。

伊波 そうですか。

仁比 当時といま、時代背景こそ違いますが、政治を動かすのは国民の力です。ここに信念をもって、新しい年も頑張りたいと思います。

平和な沖縄を目指して頑張る

伊波 私は「基地のない平和な沖縄」と書きました。

仁比 達筆ですね。

伊波 沖縄にとって大きな課題が、米軍基地からの脱却というか、基地をなくしていくことです。われわれの願いは、これに尽きます。県議になる時代からずっと、どの集会でもこれをスローガンに書いています。ことしも、基地のない平和な沖縄を目指して頑張りたい。

仁比 ぼく自身の参院議員1期、6年を振りかえってみると、2005年、06年というのは、在日米軍再編計画(ロードマップ)が「合意」された時期です。世界をみるとイラクやアフガン戦争。小泉、安倍両内閣は、白衛隊の海外派兵の強行、9条改憲に暴走し、国民投票法、教育基本法の改悪が強行されました。

伊波 米軍再編と重なった時期でしたね。

仁比 「戦争をする国」に変えようとする自公政治にたいし、当時、「憲法を守るためならたとえ命をすり減らしても」という思いで論戦に臨みました。9条の会をはじめ、憲法守れ、基地強化や米軍再編に反対する国民的な大きなたたかいが広がりました。暮らしを破壊する構造改革路線への怒り、平和を願う国民の力が、総選挙で自公政権の決定的な退場という審判を下したと。

伊波 ことしは、日米安保50年の節目の年。2003年の市長就任以来7年間、米軍再編とも重なり、普天間問題に真正面から取り組んできました。しかし一番懸念していたヘリ墜落事故(04年)もおきました。奇跡的に人身上の被害はありませんが、二度と起こさせてはならないという思いでやってきました。昨年から東京行動などの取り組が、ことしの大きな足がかりを得ることができたと実感しました。ぜひ、沖縄から海兵隊をなくしていく、新基地建設をさせない年にしていきたいですね。

仁比 年頭早々国会で、普天間問題や米軍再編をめぐって、日本が米国と世界に対して、どういう立場で臨むかが正面から問われる年になります。名護市長選が間近に迫っています。辺野古新基地を許さないという市民の強い思いを示すことが、、日本を変える大きな力になりますね。

伊波 普天間基地の危険性の除去や問題解決に、いままで13年間何事も解決されていません。「移設」を前提にしているからです。危険性がそのまま放置され続けてきました。国会論戦が大事な年、力を出してほしいと思います。

「建設的野党」の力を発揮して

仁比 「自公政権のありようはもうごめんだ」という国民の力が新しい政治をつくっていく最大の力です。国民のみなさんとともに力を合わせて、アメリカいいなり・財界中心という根源をただす新しい政治をつくっていく「建設的野党」の力を発揮して猛奮闘します。

伊波 (仁比さんの参院選用のリーフレットをみながら)コンパクトによくまとまっていますね。

仁比 どうもありがとうございます。

伊波 (リーフにある)「原点は憲法」という観点がいまこそ大事ですね。弱者をしっかりと支えるということが共産党の真髄ですね。共産党は正しいことを言っているのは、みんな承知しています。それを、現実の力にしていくのが大事です。私も日常的に市民との対話を継続していくことが大事だと心がけています。ぜひ参議院選挙、頑張っていただきたい。

仁比 市長からの激励の言葉を胸に必ず勝利します。

基地自体が「不正義」(伊波)
安保破棄の党の出番(仁比)


普天間返還へ

仁比 私は、1963年(昭和38年)生まれです。市長は、何年のお生まれですか。

伊波 私は1952年、早生まれです。ちょうど12歳、一回り違いますね。

仁比 私が初めてオキナワに触れたのは、沖縄の祖国復帰・返還闘争で、父親に肩車され「ベトナム戦争反対」、「沖縄を返せ」とデモ、集会に参加しました。小学校にあがる前のことです。「沖縄を返せ」という歌を、そのころから歌い続けてきました

伊波 私は普天間飛行場近くの嘉数中学校を卒業しています。普天間も復帰前まで、いまのようにうるさい飛行場じゃなかったんです。中学生のころナイキミサイルの格納庫があって、時々ナイキが地上に上がってきていました。パラシュート降下訓練をこの飛行場でやっていたぐらいです。

仁比 普天間は、復帰後、どんどんほかの基地からの機能移転で、復帰当時よりも強化され、「世界一」危険な基地になって